横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2007年度「特別資料コーナー」

“The Far East” Vol.1 −よみがえる明治初頭の横浜−

期間:平成20年3月12日(水)から5月18日(日)
場所:横浜開港資料館 常設展示室2内

「ファー・イースト」は、スコットランド生まれのジャーナリスト、ジョン・レディ ー・ブラック(John Reddie Black 1827〜1880)が、横浜で刊行した英字新聞です。明治3(1870)年5月30日に第1号が刊行され、明治8(1875)年8月31日号をもって刊行が中断するまで、全98号が刊行されました。

絵入隔週刊新聞(An Illustrated Fortnightly Newspaper)の名の通り、紙面には論説や報道記事が掲載され、毎号記事に即した5点から8点の写真が貼付されています。貼付された写真には、横浜を写したものが数多くあり、明治初頭の横浜を知るためには欠かせない貴重な資料です。昨年刊行された、横浜都市発展記念館・横浜開港資料館編『文明開化期の横浜・東京』にも数多く掲載されました。

この度、当館では「ファー・イースト」第1巻を新たに入手いたしました。そこに掲載されている、横浜の風景をいくつかご紹介します。

なお「新収資料紹介「ファー・イースト」1巻」と題して、当館館報『開港のひろば』99号に関連記事が掲載されていますので、ご参照下さい。

「ファー・イースト」1巻表紙
「ファー・イースト」1巻表紙
明治初頭の神奈川
「ファー・イースト」1巻15号(1871年1月5日刊)
明治初頭の神奈川「ファー・イースト」1巻15号(1871年1月5日刊)

武蔵国橘樹郡市場村御用留

期間:平成20年1月4日(金)〜2月24日(日)
場所:横浜開港資料館 常設展示室2内

江戸時代、幕府や領主が支配下の村々にあてた禁令や達(たっし)は、回状のかたちで村から村に伝達されました。御用留(ごようどめ)とは、それら禁令・達などを、村役人が書き留めた帳面のことをいいます。

今回の特別資料コーナーは、鶴見区市場上町の添田家に残る御用留を紹介します。これまでごく一部が公開されていましたが、新たに文政13年(1830年)から明治9年(1876年)にいたる63冊が加わり、半世紀にわたる計65冊が当館閲覧室でプリントで閲覧・複写できるようになりました。

東海道沿いの村の幕末・維新期を知ることができる好個の古文書です。

もっとも旧い
文政13(1830)年の御用留
もっとも旧い文政13(1830)年の御用留
庶民の黒船見物を禁じた
嘉永7(1854)年2月の記録(左部分)
庶民の黒船見物を禁じた嘉永7(1854)年2月の記録(左部分)

「アーネスト・サトウと萩原延壽」展

期間:平成19年12月1日(土)〜12月27日(木)
場所:横浜開港資料館 常設展示室2内

当館では、横浜の歴史が海外と密接な関係にあったことから、各国の外交文書を中心とする海外資料の収集と研究に力を入れてきました。中でも幕末維新期に活躍した英外交官アーネスト・サトウ関係資料の収集と研究は充実しており、これまでに2度、サトウ展を開催し、また『図説 アーネスト・サトウ』(有隣堂、2001年)も刊行しました。

この度、サトウ研究の第一人者で、当館の協力者でもあった萩原延壽氏のご遺族から「萩原延壽文庫」の寄贈を受けましたので、これまでにサトウのご子孫である武田家などから譲り受けたサトウ関係資料とあわせて、選りすぐりの資料10数点を紹介します。

写真1
サトウ 1869年、パリで撮影
サトウ 1869年、パリで撮影
写真2
サトウ旧蔵写真アルバム
サトウ旧蔵写真アルバム
写真3
萩原延壽の「サトウ日記1〜4」ノート
萩原延壽の「サトウ日記1〜4」ノート

アーネスト・サトウ(1843〜1929年)

生麦事件直前の1862(文久2)年にイギリス公使館付通訳生として来日し、維新の動乱期に横浜や江戸を舞台に、その堪能な日本語を駆使して、幕府だけでなく薩長側とも積極的に接触し、活躍した。のち、駐日公使、駐清公使をつとめた。

日本学者としても著名で、多数の日本関係研究書を著している。

萩原延壽(はぎはら・のぶとし 1926〜2001年)

歴史家。東大大学院で近代日本政治、外交史を学んだ後、米国、英国に留学し、帰国後は在野で著述に専念した。

自由民権論者の生涯を描いた『馬場辰猪』で吉野作造賞を受賞した。他に『陸奥宗光』、『東郷茂徳−伝記と解説』(吉田茂賞)、『遠い崖−アーネスト・サトウ日記抄』(大佛次郎賞)などの著作がある。

新発見資料「マンハッタン号船長のサインが記された扇」

期間:平成19年10月31日(水)〜11月25日(日)

マンハッタン号は、日本人漂流民22名を送り届けるために弘化2年(1845)2月に来航したアメリカ捕鯨船である。船長クーパーは、3月11日に浦賀に入港し、漂流民を浦賀奉行所に引き渡した。クーパー船長は、この時、交渉や警備にあたった日本人の差し出した扇にサインしたと考えられ、船長の名前の記された扇が現在に伝えられた。なお、扇の裏面には翌年に来航した東インド艦隊司令長官ビッドルと同艦隊のコロンバス号艦長の名前も記されている。サインをもらった人物が誰だったのかについては分かっていないが、現所蔵者である椎橋文雄さんのご好意によって今回、展示させていただいた。

写真1  椎橋文雄氏蔵
椎橋文雄氏蔵
写真2  クーパー船長のサイン部分
Mercator Cooper Commannder of Ship Manhattan of New York Apri1 9th-1845 United States America
クーパー船長のサイン部分

新収資料 カメラがとらえた震災直前直後の大桟橋付近

期間:平成19年8月1日(水)〜10月28日(日)

今回はカナダのバンクーバー海洋博物館が所蔵する貴重な写真を紹介します。これは関東大震災直前直後の大桟橋付近をとらえた写真です。

震災当日の1923年9月1日の正午前、大桟橋からバンクーバーに向けて出航しようとしていたエンプレス・オブ・オーストラリア号から撮影されました。

地震が起きる前の市街をとらえたのが写真1です。眼下の大桟橋では人々がのんびりと話し、遠方には開港記念横浜会館などが写っています。写真2は震災直後のものです。大桟橋は中央部分が陥落して冠水し、人力車は横転し、人々が陸のほうへ逃げる緊迫した状況をとらえています。

写真1
震災前
写真2
震災直後

なつかしのオデヲン座 フランス名画週間

期間:平成19年4月25日(水)〜7月29日(日)

商船テナシチー
ジュリアン・デュビビエ監督
「商船テナシチー」
昭和9年公開

長者町のオデヲン座は、明治・大正・昭和の三代にわたって、横浜を代表する映画館として市民に愛されました。企画展示「横浜浮世絵」展の「横浜フランス月間・2007」参加にちなんで、プログラム「オデヲン座ウィークリー」から、昭和戦前期のフランス名画のかずかずを紹介します。

なお、「オデヲン座ウィークリー」は、オデヲン座の経営者であった六崎家より平成17年に寄贈を受けました。

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