横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2015年度「特別資料コーナー」

横浜海岸教会 初代日本人牧師 稲垣信(まこと)

会期:2016年2月13日(土)〜3月27日(日)
場所:横浜開港資料館新館2階・特別資料コーナー

横浜海岸教会は、明治5(1872)年、バラ(James Hamilton Ballagh, 1832〜1920)の英語塾に通った青年ら11人の日本人により創設されました。日本最初のプロテスタント教会です。当初バラが日本人牧師の赴任まで仮牧師を務め、バラより洗礼を受けた稲垣信(1848〜1926)が、明治12(1879)年、同教会の日本人最初の牧師として赴任しました。稲垣は、2期22年にわたり同教会の牧師を務めました。今回、同教会所蔵資料が当館に寄託され、資料が公開されたことから、初代牧師の稲垣信関係資料を中心に、資料を紹介します。

「依頼書ノ事」 明治12年 横浜海岸教会所蔵・当館保管
横浜海岸教会の委員8名が、稲垣に牧師就任を依頼した文書
「依頼書ノ事」 明治12年 横浜海岸教会所蔵・当館保管 横浜海岸教会の委員8名が、稲垣に牧師就任を依頼した文書
横浜海岸教会の入口に立つ稲垣信とバラ、信者たち 明治学院歴史資料館所蔵「井深アルバム」より複写
左手後方の白い髭の外国人がバラ、その右に一人おいて立つ長身の男性が稲垣である
横浜海岸教会の入口に立つ稲垣信とバラ、信者たち 明治学院歴史資料館所蔵「井深アルバム」より複写 左手後方の白い髭の外国人がバラ、その右に一人おいて立つ長身の男性が稲垣である

横浜活版社と『横浜毎日新聞』

会期:平成27年12月8日(火)〜平成28年1月31日(日)
場所:横浜開港資料館新館2階・特別資料コーナー

現在の中区本町6丁目付近にあった横浜活版社は、明治3年12月8日(1871年1月28日)、日本で最初の日本語で書かれた日刊紙『横浜毎日新聞』を創刊しました。従来の新聞が和紙に木版刷りの和綴本なのに対し、洋紙に活版で両面印刷した近代的な新聞でした。神奈川県知事井関盛艮(いせき・もりとめ)の主唱により、原善三郎・茂木惣兵衛・吉田幸兵衛等横浜の商人達が出資し、島田豊寛を社長に、神奈川運上所翻訳官子安峻(こやす・たかし)が編集にあたり、長崎で活版などの事業に従事していた陽其二(よう・そのじ)が横浜に来て実現しました。横浜活版社は、新聞の他に神奈川県関係の出版物も印刷・発行し、人々の「開化」をすすめる役割も担いました。

『横浜毎日新聞』創刊から145年を迎えるにあたり、横浜活版社出版物等の資料を紹介します。

『横浜毎日新聞』創刊当時の横浜 右下に「活板社」の文字が見える。
『官許改正新刻横浜案内絵図』(部分) 明治3(1870)年 当館所蔵(五味文庫)
『横浜毎日新聞』創刊当時の横浜 右下に「活板社」の文字が見える。『官許改正新刻横浜案内絵図』(部分) 明治3(1870)年 当館所蔵(五味文庫)

関口日記にみる小机観音霊場

会期:2015年11月7日(土)〜11月29日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階 特別資料コーナー

江戸時代半ば以降、農業の生産力が上がり生活に余裕が生じると、多くの人々が伊勢参りや西国・坂東・秩父の観音霊場巡礼、あるいは四国八十八所遍路など、信仰や物見遊山のため各地を巡るようになります。なかでも観音霊場は、「観音経」に観音が三十三変化することにちなみ、三十三所の札所から構成され、西国・坂東・秩父の三大霊場をまわると百観音(秩父のみ三十四所)をまわることになります。とはいえ、関東の人が遠方の西国霊場へ赴くことは困難であるため、それを模倣した「移し」あるいは「写し」と呼ばれる霊場が各地に成立しています。横浜市域の北部に位置する鶴見川・帷子川流域には「小机観音霊場」が存在しています。「小机観音霊場」は、享保17(1732)年頃には成立しており、子年3月に一斉にご開帳が行われました。今回の展示では、生麦村名主関口家の日記である「関口日記」における記述を中心に、小机観音霊場について紹介します。

寛政4(1804)年 日時帳 横浜開港資料館所蔵
子年である寛政4年の正月冒頭の部分。
「寛政四壬子略暦」という簡単な木版刷の暦が貼付され、
「当稔小机之新札三拾三所開帳」という文字が記されている。
寛政4(1804)年 日時帳 横浜開港資料館所蔵

横浜カントリー&アスレティック・クラブ(YC&AC)のスポーツ・シーン

会期:2015年10月10日(土)〜 11月1日(日)
場所:横浜開港資料館新館2階 特別資料コーナー

市内中区矢口台に古くから広大な敷地を構える会員制のスポーツ社交クラブがあります。YC&AC(Yokohama Country & Athletic Club)です。同クラブは1868(明治元)年、横浜に住む欧米系の外国人居留民が設立した横浜クリケット・クラブがその始まりとされ、その後、いくつかのスポーツクラブと合併し拡大していきました。最初は横浜公園にありましたが、1912(大正元)年に現在の矢口台に移転し、名称も現在のものに変更しました。同クラブは、アジア太平洋戦争中と戦後の一時期をのぞいて今日まで活動を継続してきた、横浜の外国人社会において最も伝統のある社交クラブです。

高台のグラウンドから遠く根岸湾が望める、このスポーツに最適の場所で、イギリス人やアメリカ人が中心となって、クリケットやラグビー、サッカー、テニス、ローンボウル、また室内ではビリヤードやボーリングなどがおこなわれ、スポーツの合間や終了後にはクラブ内のレストランやバーで親睦を深めあってきました。

本国から遠く離れた横浜で、スポーツを通して自分たちの文化を護ると同時に、さまざまな国籍の隣人たちと家族ぐるみで親睦を深める努力を重ねてきた欧米系外国人社会の歩みの一端を約20点の写真や資料で紹介します。

YC&ACと神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ(KR&AC)との定期親善試合―野球
YC&ACにて 大正時代か 当館所蔵
YC&ACと神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ(KR&AC)との定期親善試合―野球 YC&ACにて 大正時代か 当館所蔵
YC&ACとKR&ACとの定期親善試合―ラグビー
神戸にて 戦前 YC&AC所蔵
YC&ACとKR&ACとの定期親善試合―ラグビー 神戸にて 戦前 YC&AC所蔵

明治・大正 ハマの消防車

会期:9月1日(火)〜9月30日(水)
会場:横浜開港資料館新館2階 特別資料コーナー

9月1日は「防災の日」です。これは1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災にちなんで1960(昭和35)年に制定されました。災害に備えるため、「防災の日」前後は全国で大規模な防災訓練が実施されます。

さて、火災から人びとの生活を守るクルマとして「消防車」があります。日本の開国以降、海外からクルマの文化が流入するなか、消防の技術も大きく変化していきます。江戸時代の消防は建物を破壊する消火方法が中心でしたが、明治以降は消防ポンプによる放水が消火方法の主流になります。また、手押しポンプをのせた荷車も登場し、消防隊の機動力を向上させました。その後、車輪のついた消防ポンプは、人力の荷車から馬車、自動車へと変化していきます。本コーナーでは、明治・大正期に横浜で活躍した「消防車」を紹介します。

居留地消防隊の蒸気ポンプ 石橋サク子家寄託・横浜開港資料館保管
1871(明治4)年2月に居留地消防隊が装備したイギリスのシャンド・アンド・メーソン社製の蒸気ポンプ。
居留地消防隊の蒸気ポンプ 石橋サク子家寄託・横浜開港資料館保管 1871(明治4)年2月に居留地消防隊が装備したイギリスのシャンド・アンド・メーソン社製の蒸気ポンプ。

戦後70年 戦時下、横浜の外国人
国籍は違っても、彼らもまた、横浜をふるさとと思う人びとだった。

会期:2015年8月5日(水)〜30日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階 特別資料コーナー

幕末開港期以来、国際港都としての歴史を育んできた横浜には、1939年9月に第2次世界大戦が勃発する段階で、約4000人の外国人が暮らしていました。その中には横浜で生まれ、育った人びとも多く、それぞれに不安な日々を送っていました。

1941年12月8日、アジア太平洋戦争開戦と同時に、英国・米国など敵性外国人の全国一斉捜査が行われ、成年男性はただちに「敵国人抑留所」へ入れられました。中国人については、日本の傀儡政権である汪精衛政権を支持していると見なされ、抑留されはしませんでしたが、居住地や移動が制限されました。また、同盟国のドイツ人・イタリア人、中立国のスイス人など、日本と本国との関係により、戦時下の処遇はさまざまでした。

今年は第2次世界大戦終結70年にあたり、今回の展示では、イギリス人青年の抑留日記と中国人の移動証明書などから、戦時下、外国人が置かれていた境遇の一端を紹介します。

シディンハム・デュアの抑留日記
昭和19年(1944)10月22日〜20年(45)9月20日
全4冊 出羽康子氏所蔵
シディンハム・デュアの抑留日記 昭和19年(1944)10月22日〜20年(45)9月20日 全4冊 出羽康子氏所蔵
山下町第1区町内会結成式記念写真
昭和16年(1941)1月23日
鮑啓東(ほうけいとう)氏所蔵
山下町第1区町内会結成式記念写真 昭和16年(1941)1月23日 鮑啓東(ほうけいとう)氏所蔵

輸出花火と絵入りカタログ

会期:7月1日(水)〜8月4日(火)
会場:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー

今年も花火の季節が巡ってきました。横浜の花火の特色は、海外と関係が深いことです。平山煙火製造所は、花火が輸出されだした明治13(1880)年頃から、発注者に向けて絵入りカタログを発行しました。昼夜の打ち上げ花火や、庭花火など11種類が確認できます。カタログには、明治時代に始まった色あざやかな「西洋花火」や、現在では見られないユニークな「袋物」の昼花火などが収録されています。

このコーナーでは、明治・大正期の華やかな絵入りカタログを2回に分けて紹介します。花火大会の前に、レトロで可愛い花火もお楽しみください。

前期:7月1日(水)〜16日(木) / 後期:7月18日(土)〜8月4日(火)

夜花火の絵入りカタログ
当館所蔵(五味文庫)
夜花火の絵入りカタログ 当館所蔵(五味文庫)
昼花火の絵入りカタログ
小野哲男氏寄託・当館保管
昼花火の絵入りカタログ 小野哲男氏寄託・当館保管

ペリー来航と吉田松陰 ‐下田で起きた密航事件‐

会期:6月2日(火)〜6月30日(火)
会場:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー

安政元(1854)年、長州藩の藩籍を剥奪され、諸国を遊学していた吉田松陰は、西洋への知見を広めたいという強い思いから、長州藩の江戸勤をしていた金子重之助とともに、下田に来航したペリー艦隊への密航を企てました。展示では、ペリー一行が記した日本遠征の記録のなかの、吉田松陰、密航事件を取り上げます。

『踏海志士金子重之助』
福本椿水(義亮)著 1958年 武渓文庫所蔵
『踏海志士金子重之助』 福本椿水(義亮)著 1958年 武渓文庫所蔵

1933 関東防空演習

会期:5月9日(土)〜5月31日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー

1923(大正12)年9月1日の関東大震災以降、人びとは災害に対する備えを強めるとともに、第1次世界大戦で登場した航空機による地上攻撃、「空襲」を意識するようになりました。それにともない、大阪、名古屋、北九州では、空襲に備えた防空演習が実施されます。そして、1933(昭和8)年8月9日から11日までの3日間、陸軍の東京警備司令部は東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城の1府4県において関東防空演習を実施しました。この演習には、陸海軍や官公庁だけでなく、横浜市民も防護団員として動員されます。本コーナーでは、当館所蔵の資料から防空演習に動員された市民の姿を紹介します。

伊勢佐木町松屋屋上の機関銃隊 1933(昭和8)年8月
横浜開港資料館所蔵『関東防空演習記念写真帖』より
伊勢佐木町松屋屋上の機関銃隊 1933(昭和8)年8月 横浜開港資料館所蔵『関東防空演習記念写真帖』より

旧館1階記念ホールでのミニパネル展示
 幕末・明治の横浜の舞踊

会期:2015年5月1日(金)〜5月17日(日)
場所:横浜開港資料館旧館1階 記念ホール

幕末から明治の初めの横浜のダンス風景を5枚のパネルで紹介します。

観覧無料です。

Dance Dance Dance @YOKOHAMA 2015 参加展示です。

横浜の歴史の目撃者 — たまくす

会期:2015年4月1日(水)〜5月6日(水・祝)
会場:横浜開港資料館新館2階 特別資料コーナー

6月2日の開港記念日は横浜にとって大切な記念日のひとつです。そして当館中庭に繁るたまくすの木は、横浜開港の前提となった開国の由来を伝える市の歴史史跡として知られています。

1854年3月31日(安政元年3月3日)、この木のそばでアメリカ合衆国代表のペリーと江戸幕府が日米和親条約を締結し、日本は開国しました。5年後の1859年7月1日(安政6年6月2日)、今度はハリスとの間で通商条約が結ばれて横浜港が開港し、貿易がはじまりました。

こうして開国・開港の目撃者となったたまくすは、それからずっと横浜の発展を見つづけ、今年で161年を迎えます。その姿をとらえた絵や写真5点を紹介します。

完成したばかりのイギリス領事館とたまくす 横浜浮世絵 3代広重画 1870(明治3)年 当館蔵
完成したばかりのイギリス領事館とたまくす 横浜浮世絵 3代広重画 1870(明治3)年 当館蔵

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