横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2023年度

災害は忘れた頃にやってくる―丹沢地震と横浜―

【会期】2023(令和5)年12月1日(金)〜2024(令和6)年2月15日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

関東大震災の発生から4ヶ月後、横浜の人びとは落ち着きを取り戻しつつ、新たな気持ちで新年を迎えていました。橘樹郡大綱村(現・港北区)の村長だった飯田助夫は日記に、「歳次(さいじ)茲(ここ)に改まり、大正十三年を迎ふ。顧(かえり)みれば昨秋は古今無比の大震火災に遭遇し、之迄(これまで)の新年よりも一種異様の気分を以て、何人も新年に入り更始一新、生面打開、復興活動以て生活の安定を得て共に存じ、共に栄へ、自他共に一段の進運を祈る」と、復興にむけた覚悟を記しています。また、郷里の松山で新年を迎えた画家の八木彩霞(熊次郎)は、「復興の新年だ祝へ祝へと知名の方々が沢山来て下さって何時にない賑やかな楽しい新年を家族揃って迎へた」と日記に記しています。

しかし、それから半月後の1924(大正13)年1月15日午前5時50分、横浜は再び大きな揺れに襲われました。関東地震の最大の余震とされる丹沢地震の発生です。震源は神奈川県西部、地震規模はマグニチュード7.3でした。飯田も八木も地震に襲われており、その後の様子を日記に記しています。本展示では、歴史の中に埋もれた丹沢地震の被災状況を被災者たちが残した記録から追いかけていきます。

横浜市電気局による給水活動 1924(大正13)年1月 中野春之助撮影
横浜都市発展記念館蔵
横浜市電気局による給水活動 1924(大正13)年1月 中野春之助撮影 横浜都市発展記念館蔵

関東大震災100年 古き横浜の壊滅 O.M.プール旧蔵資料より

【会期】2023年8月26日(土)〜11月30日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災から、今年で100年を迎えます。横浜では、3万5千棟を超える家屋が倒壊・焼失し、2万6千人を超える死者・行方不明者が出ましたが、この大災害を生き抜いた人びとのなかには、のちに震災の体験を手記として残した人がいます。イギリス系貿易商社ドッドウェル商会で日本総支配人を務めていたアメリカ人O.M.プール(Otis Manchester Poole, 1880-1978)もその一人です。

山下町72番地(現・中区山下町72番地、ホテルJALシティ関内所在地)の社屋で地震に遭遇したプールは、山手の自邸で被災した家族とともに横浜を脱出しますが、のちにこのときの体験を、“The Death of Old Yokohama”(1968年)と題して刊行します(1976年に『古き横浜の壊滅』として有隣堂から翻訳本刊行)。

本展示では、2005(平成17)年に次男リチャード・A・プール氏から当館へ寄贈されたO.M.プール旧蔵資料から、彼が残した資料の一部を紹介します。

イギリス総領事館構内から神奈川県庁を望む
1923(大正12)年9月 O.M.プール撮影

イギリス総領事館の構内(当館所在地)から、焼失した神奈川県庁舎の残骸を望む。2本のヒマラヤスギ(当館西門のところに現存)の先には、震災で亡くなった領事館員が仮埋葬された墓が並んでいる。奥には、倒壊をまぬがれた開港記念横浜会館(現・横浜市開港記念会館)の時計塔も写っている。
イギリス総領事館構内から神奈川県庁を望む 1923(大正12)年9月 O.M.プール撮影

関東大震災を伝える―災害情報の形成と展開―

【会期】2023(令和5)年5月26日(金)〜8月25日(金)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

写真は被写体の情報を見る人に伝えます。1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生し、横浜市は壊滅的な打撃を受けました。国際的な貿易港としての機能は失われ、犠牲者の数も推定2万6623人に上ります。そうした悲惨な状況を撮影した写真、さらにそこから生み出された絵葉書は今日も数多く残っており、100年前の様子を現在に伝えています。ただし、撮影者の特定できる写真は少なく、いつ、どこで、何のために撮影したのか、それらが判然とする写真はほとんどありません。また、伝播の過程で加工が加えられた写真や、誤った情報で伝えられた写真も多く、批判的な検証作業も必要不可欠です。本展示では、地震発生後、東京の通信社が関西方面へ配信した災害写真や、絵葉書の作成、加工の痕跡から災害情報の拡大過程の一端を紹介します。

図1 横浜 神奈川県庁と税関焼失の光景 1923(大正12)年 当館蔵
シリーズ「大正12.9.1 横浜大震災」の1枚。横浜中央電話局新庁舎から日本大通り、神奈川県庁や新港埠頭方面を撮影している。神奈川県庁は赤々と燃え、新港埠頭は煙に包まれているが、日本大通りには、平然と歩く人影も確認できる。この絵葉書は被災地の写真に炎を書き加えた上で、着色したものである。当初、関東大震災関係の絵葉書は飛ぶように売れたが、人々の関心の低下とともに、次第に過剰な演出がなされていった。
図1 横浜 神奈川県庁と税関焼失の光景 1923(大正12)年 当館蔵
図2 横浜 神奈川県庁ト税関 1923(大正12)年 当館蔵
シリーズ「大震大火災実況(大正十二年九月一日)」の1枚。写真右側の焼跡はイギリス総領事館(現・横浜開港資料館)、日本大通りの反対側に外壁だけを残した神奈川県庁舎が確認できる。また、破壊された横浜税関の先には、崩れた象の鼻防波堤も写っている。新港埠頭では、赤レンガ倉庫や発電所等の建物も健在である。この写真は図1の原本で、2つの資料を比較すると、加工が加えられた部分がわかる。
図2 横浜 神奈川県庁ト税関 1923(大正12)年 当館蔵

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