横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2021年度

横浜市営交通100周年・関東大震災98周年
横浜市電の被災と復旧

【会期】2021(令和3)年9月1日(水)〜12月2日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

横浜市民の足であった路面電車、通称「横浜市電」は1923(大正12)年9月1日の関東大震災で大きな被害を受けました。1921年4月1日に横浜市電気局が運営することになった横浜市電は、震災当時、143両の車両を運用していましたが、運転中であった88両中57両を焼失、また、貨車1両を失いました。さらに高島町の車庫にあった17両が火災によって失われたほか、滝頭の修繕工場でも建物の倒潰によって19両を失います。施設や線路も各所で破壊され、横浜市電の機能は完全に停止しました。

地震発生の混乱のため、様々な資材が不足しますが、横浜市電気局は新規路線拡張のために保管していた資材を線路等の復旧にあてていきます。また、同じく路面電車を運用する大阪市や京都市、名古屋市の協力を得たほか、千葉に駐屯する鉄道第1連隊も各種工事を展開していきました。その結果、地震発生の1ケ月後、10月2日の神奈川―馬車道間の営業再開を皮切りに、横浜市電は順次復旧していきます。今回は当館所蔵の写真資料を中心に、横浜市電の被害と復旧の様子を紹介します。

図1 本牧箕輪下停留場付近の車両
『大震火災電気鉄道被害情況』所収 1923(大正12)年9月 当館蔵
図1 本牧箕輪下停留場付近の車両 『大震火災電気鉄道被害情況』所収 1923(大正12)年9月 当館蔵
図2 神奈川停留場とバラック電車
前川謙三撮影 1923(大正12)年10月 当館蔵
図2 神奈川停留場とバラック電車 前川謙三撮影 1923(大正12)年10月 当館蔵

「横浜のまちづくりの父」R・H・ブラントン(Richard Henry Brunton)

会期:6月2日(水)〜8月29日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階ミニ展示コーナー

「日本の灯台の父」として知られるブラントン(1841〜1901)は、「横浜のまちづくりの父」とも呼ばれ、今年は生誕180年・没後120年にあたります。 ブラントンは、日本政府に雇われて1868(慶応4・明治元)年に来日しました。27歳の時でした。76(明治9)年に帰国するまでの8年間、全国各地で灯台築造を主導しながら、開港都市として歩み始めたばかりの横浜のまちづくりにも大きな足跡をのこしました。

以下は、ブラントンが手がけたおもな事業や計画ですが、実に多岐にわたっています。ブラントンによって横浜の都市インフラ全体の近代化が進み、現在に引き継がれてきました。そして横浜の魅力的な都市景観ともなっています。

  1. 横浜居留地と横浜港の測量(1868〜70年)
  2. 鉄道敷設の意見書(1869年)
  3. 電信機の導入(1869年)
  4. 下水道敷設(1869〜77年)
  5. 道路整備(1869年)
  6. 吉田橋の鉄橋への架け替え(1869年)
  7. 上水道計画(1870年)
  8. 新埋立居留地の造成(1870〜71年)
  9. 横浜築港計画(1870〜74年)
  10. 横浜公園の造成(1871〜72年)
  11. 日本大通りの計画施工(1871〜[76]年)
  12. 堀川の拡幅(1871年)

1991(平成3)年には、ブラントン生誕150年を記念して横浜公園に胸像(澄川喜一作)が建てられました。 今回は、「ブラントン旧蔵資料」と当館所蔵の浮世絵や古写真をもとに、ブラントンが手がけたおもな事業を紹介します。

図1 晩年のブラントン
E.M.ウォーホップ(Wauchope)氏寄託・当館保管「ブラントン旧蔵資料」から
図1 晩年のブラントン E.M.ウォーホップ(Wauchope)氏寄託・当館保管「ブラントン旧蔵資料」から
図2 鉄橋に架け替えられた吉田橋
「横浜鉄橋之図」(部分) 貞秀画 1870(明治3)年 当館蔵
図2 鉄橋に架け替えられた吉田橋 「横浜鉄橋之図」(部分) 貞秀画 1870(明治3)年 当館蔵

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