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2021年度
日本最古のスポーツクラブ YC&AC
【会期】2021(令和3)年12月3日(金)〜2022(令和4)年5月26日(木)
※3月4日(金)より一部展示替えを行い、会期を延長いたしました。
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー
横浜は近代スポーツ伝来の地のひとつです。開港後、横浜に住み始めた外国人たちによって、居留地では様々なスポーツが行われ、ここから日本中に近代スポーツが浸透していきました。居留地におけるスポーツの発展には、各種のスポーツクラブが大きな役割を果たしましたが、なかでも1868(明治元)年に設立されたYCC(横浜クリケット・クラブ)を源流とするYC&AC(横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ)は、150年以上もの歴史を持つ日本最古のスポーツクラブで、現在でも活動を継続しています。YC&ACは1884(明治17)年にYCCと他の団体が合併して発足し、クリケット、ラグビー、陸上競技、野球、テニス、サッカーなど、諸種のスポーツを楽しむ外国人の社交場としての役割を果たしました。所在地は最初は横浜公園でしたが、1912(大正元)年に現在の中区矢口台に移転します。
YC&ACで行われた様々なスポーツのうち、今回の展示で特に取り上げるのが、サッカーです。YC&ACのサッカークラブは、2018(平成30)年に日本最古のクラブとしてイングランドのシェフィールドFCから認定されました。同FCは1857(安政4)年に設立された世界最古のサッカークラブとして国際サッカー連盟 (FIFA)から認められたチームで、2013(平成25)年に世界各国の最古のサッカークラブでつくるクラブ・オブ・パイオニアーズを設立し、各国のサッカー史の発掘に努めています。YC&ACは1887(明治20)年に横浜で発行された新聞『ジャパン・ウィークリー・メイル』の記事が根拠となり、クラブ・オブ・パイオニアーズの20番目のメンバーに認定されることになりました。
今回の展示では、当館が所蔵するYC&AC関係資料のほか、日本人で初めてYC&AC理事長となった細貝貞夫氏より、横浜市へ寄贈が予定されているYC&ACサッカー関連の資料を展示します。横浜の外国人社会において最も伝統のある社交クラブの歴史に触れていただければ幸いです。
横浜市営交通100周年・関東大震災98周年
横浜市電の被災と復旧
【会期】2021(令和3)年9月1日(水)〜12月2日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー
横浜市民の足であった路面電車、通称「横浜市電」は1923(大正12)年9月1日の関東大震災で大きな被害を受けました。1921年4月1日に横浜市電気局が運営することになった横浜市電は、震災当時、143両の車両を運用していましたが、運転中であった88両中57両を焼失、また、貨車1両を失いました。さらに高島町の車庫にあった17両が火災によって失われたほか、滝頭の修繕工場でも建物の倒潰によって19両を失います。施設や線路も各所で破壊され、横浜市電の機能は完全に停止しました。
地震発生の混乱のため、様々な資材が不足しますが、横浜市電気局は新規路線拡張のために保管していた資材を線路等の復旧にあてていきます。また、同じく路面電車を運用する大阪市や京都市、名古屋市の協力を得たほか、千葉に駐屯する鉄道第1連隊も各種工事を展開していきました。その結果、地震発生の1ケ月後、10月2日の神奈川―馬車道間の営業再開を皮切りに、横浜市電は順次復旧していきます。今回は当館所蔵の写真資料を中心に、横浜市電の被害と復旧の様子を紹介します。
「横浜のまちづくりの父」R・H・ブラントン(Richard Henry Brunton)
会期:6月2日(水)〜8月29日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階ミニ展示コーナー
「日本の灯台の父」として知られるブラントン(1841〜1901)は、「横浜のまちづくりの父」とも呼ばれ、今年は生誕180年・没後120年にあたります。 ブラントンは、日本政府に雇われて1868(慶応4・明治元)年に来日しました。27歳の時でした。76(明治9)年に帰国するまでの8年間、全国各地で灯台築造を主導しながら、開港都市として歩み始めたばかりの横浜のまちづくりにも大きな足跡をのこしました。
以下は、ブラントンが手がけたおもな事業や計画ですが、実に多岐にわたっています。ブラントンによって横浜の都市インフラ全体の近代化が進み、現在に引き継がれてきました。そして横浜の魅力的な都市景観ともなっています。
- ①横浜居留地と横浜港の測量(1868〜70年)
- ②鉄道敷設の意見書(1869年)
- ③電信機の導入(1869年)
- ④下水道敷設(1869〜77年)
- ⑤道路整備(1869年)
- ⑥吉田橋の鉄橋への架け替え(1869年)
- ⑦上水道計画(1870年)
- ⑧新埋立居留地の造成(1870〜71年)
- ⑨横浜築港計画(1870〜74年)
- ⑩横浜公園の造成(1871〜72年)
- ⑪日本大通りの計画施工(1871〜[76]年)
- ⑫堀川の拡幅(1871年)
1991(平成3)年には、ブラントン生誕150年を記念して横浜公園に胸像(澄川喜一作)が建てられました。 今回は、「ブラントン旧蔵資料」と当館所蔵の浮世絵や古写真をもとに、ブラントンが手がけたおもな事業を紹介します。