横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2018年度

准秩父観音霊場と准西国稲毛観音霊場

会期:3月1日(金)〜4月30日(火)
会場:横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

横浜市域北部と川崎市域の大部分に該当する武蔵国橘樹郡・都筑郡には、西国三十三所観音霊場や秩父三十四所観音霊場の「移し」「写し」であるいくつかの観音霊場が存在しています。西国霊場や秩父霊場は遠方に位置しているため巡拝するのが困難であり、周辺地域にそれを写した霊場を設置して、その霊場を廻れば本体の霊場を廻るのと同じ功徳を得られるという考え方です。今回の展示では、こうした観音霊場の内、准秩父霊場と准西国稲毛霊場を紹介します。

准秩父順拝案内図(表)昭和5年(1930)2月 当館所蔵
鶴見区の子生山東福寺の金子隆英氏によって昭和5年2月18日に刊行された准秩父観音霊場の巡礼案内図。奥付のある表側は「准秩父順拝案内図」として順拝の行程を地図上に示したもの。現在の横浜市鶴見区・港北区・都筑区と川崎市川崎区・幸区・中原区に分布している。ちなみに同霊場は十二支の午年に御開帳を実施している。また、本来、同霊場に加わっていない子生山東福寺の「子育観音」を「御手引」として、最初に参拝する場所として位置づけている。
准秩父順拝案内図(表)昭和5年(1930)2月 当館所蔵

丸善の初荷風景

会期:1月4日(金)〜2月28日(木)
会場:横浜開港資料館新館2階ミニ展示コーナー

初荷は江戸時代から始まった行事で、1月2日、商家の仕事始めに行なわれました。新調したはっぴや手拭を着用し、卸商人は小売店へ、小売商人は有力な得意先へそれぞれ商品を届けました。初荷を運ぶ自動車には、幟旗(のぼりばた)が立てられました。

写真は近年寄贈を受けたもので、1936(昭和11)年正月、丸善による初荷風景です。中区若葉町の文房具問屋信林堂の店先に、正月飾りを付けた4台のトラックを連ねて初荷を届けたところです。荷台にはインキの箱が積まれ、「日本のインキを代表する丸善アテナインキ」の幡旗が翻っています。

輸入書籍や用品販売で知られる丸善は、早矢仕有的(はやし・ゆうてき)が、1869(明治2)年に横浜で創業した書店丸屋が前身です。屋号の丸は「地球」にちなんだもので、世界を相手に商売するという意味が込められていました。1870年には日本橋に支店を開設し、のちに本店としました。

ここでは、丸善の初荷風景に関する資料を紹介します。

丸善の初荷風景(横浜開港資料館所蔵)
丸善の初荷風景(横浜開港資料館所蔵)

築地居留地、開かれる

会期:11月1日(木)〜12月27日(木)
会場:横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

いまから150年前の明治元年11月19日(1869年1月1日)、東京の築地居留地(現中央区)が開かれました。

当館では築地居留地を題材とした錦絵を複数所蔵しています。築地ホテル館をメインに描いたものが多いのですが、よく見ると、絵によって細部の描写が異なっています。たとえば、ホテルという西洋の建造物そのものを丁寧に描いた錦絵もあれば、ホテル周辺の日本人と外国人の交流を描き込んだ絵もあり、また、馬車など新時代の文物を大きく描写する作品もあります。

本展示では、開港場横浜とも関わりの深い150年前の築地居留地の様相を、錦絵から紹介します。
*資料保護のため会期中展示替えをおこないます。

「東京築地ホテル館」歌川広重(3代)画、明治3年(1870)6月、当館蔵
「東京築地ホテル館」歌川広重(3代)画、明治3年(1870)6月、当館蔵

関東大震災95周年
災害情報の伝播と通信社

会期:9月1日(土)〜10月28日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

現在、情報はインターネットやSNSを通じて瞬時に拡散しますが、1925(大正14)年3月のラジオ放送開始以前は、新聞が速報性のある唯一のメディアでした。東京と大阪の両方に拠点を持つ朝日新聞(東京朝日新聞・大阪朝日新聞)や毎日新聞(東京日日新聞・大阪毎日新聞)などの大手新聞社をはじめ、全国には数多くの新聞社があり、日々読者に様々な情報を伝えていました。しかし、そうした新聞社がすべての情報を掌握できたわけでなく、特に資本力の弱い新聞社は取材できる範囲が限られていました。その穴を埋めるのが、新聞社に情報を提供する通信社の存在です。大正期、東京には日本電報通信社のほか、帝国通信、自由通信、東方通信、国際通信などの通信社があり、様々な通信手段を用いてニュースを配信していました。

1923(大正12)年9月1日、関東大震災の発生によって京浜地域の新聞社は機能を停止します。それに対し、大手新聞社は東京と大阪の相互で特派員を派遣、災害情報の取得と発信に努めます。一方、通信社は被災地の情報を全世界に発信するため、現場の写真を各新聞社に提供していきました。本展示では、関西方面の新聞社が保有していたと考えられる通信社配信の写真から関東大震災の状況を紹介していきます。

大阪港に入港した横浜発の汽船「ろんどん丸」
1923(大正12)年9月6日 当館蔵

大阪に到着した汽船とそれを迎える人びと。中国人240人を含む被災者830人を乗せた「ろんどん丸」は5日午後0時30分に横浜港を出港、6日午前中に大阪港に入港した。大阪の新聞各紙はそのことを大きく報じたほか、被災者が体験した震災の状況を関西方面に伝えていった。
大阪港に入港した横浜発の汽船「ろんどん丸」 1923(大正12)年9月6日 当館蔵
大阪電報通信社のスタンプ
1923(大正12)年9月5日 当館蔵

通信社が配信した写真の裏面に押されたスタンプ。大阪市北区中野ノ島3丁目に所在する大阪電報通信社は、東京の日本電報通信社の系列会社で、東京方面の情報を発信していった。翌年、日本電報通信社が発行する『新聞総覧』は、「殊に関東大震災当時に於ける同社写真部の活動は最も目ざましく、本領土内は勿論、普ねく海外各地の新聞雑誌は殆ど皆同社の写真を以て紙面を飾った」と、自社が果たした役割を記している。
大阪電報通信社のスタンプ 1923(大正12)年9月5日 当館蔵

近代金沢における霊場巡拝

会期:7月1日(火)〜8月31日(金)
会場:横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

江戸時代中期以降、全国各地に数日間で廻ることのできる地域霊場が成立し、多くの参詣者が巡拝します。しかし、近代に入り鉄道や自動車といった交通機関が発達してくると、次第にそれらを利用した行程へと変化していきます。霊場・札所の巡拝にはもともと物見遊山的な要素が含まれていますが、より観光的な要素が強くなったものと思われます。今回の展示では、昭和初年における金沢周辺の霊場を題材にこうした点を紹介します。

昭和6年(1931)3月 湘南金沢観音霊所順拝図 当館所蔵
表裏両面の印刷で、奥付のある表側は「湘南金沢観音霊所順拝図」として順拝の行程を地図上におとしたもの。裏側には「金沢三十四ケ霊所」として、第一番称名寺より第三十四番釜利谷の金蔵院にいたる各札所の順番と寺名・所在地、札所本尊と御詠歌が記されている。
昭和6年(1931)3月 湘南金沢観音霊所順拝図 当館所蔵

瓦版にみる安政6年の横浜開港

会期:5月8日(火)〜6月30日(土)
会場:横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

今から159年前の安政6年(1859)6月2日、前年の安政5年(1858)にアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5か国との間で締結された修好通商条約をふまえ、横浜が開港します。これに伴い、開港場と東海道や神奈川宿といった周辺地域や開港場の部分を詳細に描いた絵図、さらにはペリー来航から開港にいたる経緯を記した文章といった情報を所収する様々な瓦版が作成されました。今回の展示では、こうした瓦版を題材にして、横浜開港の一端を紹介します。

安政6年(1859)3月 五ケ国御貿易場 当館所蔵
右上に「安政六年未三月神奈川横浜・松前箱舘・肥前長崎三ケ所江交易御免被仰付候内、神奈川之図」とあるように、「交易御免」の場所=開港場として横浜が開港することに伴って刊行された瓦版。
①開港場と周辺地域を対象とした色刷の絵図、②左上に配置された単色刷の「荷揚場全図」、③神奈川奉行・外国奉行や「武州本牧」「神奈川横浜」「大森羽根田」という近隣地域防備の担当大名、④上段に配置されている「御触書之写」とアメリカ船渡来より開港に至るまでの経緯、等の情報が所収されている。
安政6年(1859)3月 五ケ国御貿易場 当館所蔵

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