横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2019年度

関東大震災96周年
奮闘!消防自動車メリーウェザー号

【会期】2019(令和元)年9月1日(日)〜10月31日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、神奈川県を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生、激しい揺れが横浜の街を襲います。ちょうど昼時だったこともあり、289ヶ所から出火、強風に煽られて急速に燃え広がっていきました。そうしたなか、山下町238番地で消火活動に尽力する1台の消防車がありました。日本初のガソリンポンプ自動車、「メリーウェザー号」です。

メリーウェザー号を格納していた第二消防署(旧薩摩町消防隊、現在の横浜市中消防署)は、地震発生とともに倒潰、消火器具も瓦礫の中に埋もれてしまいました。その後、難を逃れた署員たちがメリーウェザー号を救出、火災にたちむかっていきます。署員たちは水源を第二消防署内の井戸に求め、その周囲で消火活動を展開していきました。しかし、火勢が強まるなか、1台の消防車では対処できず、生命の危険も迫ったため、署員たちはメリーウェザー号を残して避難します。最終的にメリーウェザー号は消防署とともに炎に包まれました。

今回は大正期の横浜消防の象徴であったメリーウェザー号の導入から最期の姿までをご紹介します。

ガソリンポンプ自動車・メリーウェザー号 大正期 石橋サク子家資料 当館保管
 メリーウェザー号を囲む薩摩町消防隊の隊員。運転席に座るのは、後に加賀町消防団の初代団長となる増田清、中央の外国人は機関士(消防ポンプ運用の専門家)のジョージ・ガバレッタ。薩摩町消防隊(旧居留地消防隊)は、1914(大正3)年3月の東京大正博覧会で出品されたイギリス製の消防自動車を購入、同年6月1日には、山下町内で運用試験を実施した。
ガソリンポンプ自動車・メリーウェザー号 大正期 石橋サク子家資料 当館保管
焼失したメリーウェザー号 岡本三朗撮影 1923(大正12)年9月 当館蔵
 火災鎮火後の第二消防署(現・横浜情報文化センター駐車場)の状況。メリーウェザー号の残骸と倒れた望楼、崩れたレンガなどが確認できる。車体後方のポンプから伸びるホースは署員たちの奮闘を物語っている。関東大震災では、当時、横浜市内にあった7台のガソリンポンプ自動車中3台(メリーウェザー号以外にラフランス製消防自動車1台、レオーノーザン製消防自動車1台)が失われた。
焼失したメリーウェザー号 岡本三朗撮影 1923(大正12)年9月 当館蔵

ラグビーと幕末・明治の横浜

会期:7月3日(水)〜8月31日(土)
会場:横浜開港資料館新館2階ミニ展示コーナー

来る9月に開幕するラグビーワールドカップ日本大会の決勝戦は横浜でおこなわれますが、横浜とラグビーとのつながりは、幕末までさかのぼることができます。

1866年1月26日(慶応元年12月10日)、横浜外国人居留地の一角(現・中区山下町127番地)で、横浜在住のイギリス人や、当時、横浜に駐屯していたイギリス陸軍の士官たちが中心となり、横浜フットボールクラブ(Yokohama Foot Ball Club)が設立されました。当時のフットボールというスポーツは、ラグビーとサッカーとが未分化のスポーツであり、プレーのようすはわかっていません。

クラブ設立から8年後の1874(明治7)年、ロンドンの雑誌に「横浜でおこなわれたフットボールの試合」というタイトルの絵が掲載されました。描かれたのは、前年の73年12月に横浜公園でおこなわれた試合だと考えられており、クラブのフラッグも見えます。そして、この絵から、今日のラグビーに近い試合だったことがわかります。

図1 「日本の横浜でおこなわれたフットボールの試合」
『ザ・グラフィック』The Graphic 1874 (明治7)年4月18日号掲載 当館蔵
図1 「日本の横浜でおこなわれたフットボールの試合」 『ザ・グラフィック』The Graphic  1874 (明治7)年4月18日号掲載 当館蔵

神奈川開港

会期:5月1日(水)〜6月30日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

160年前の安政6年(1859)6月2日、横浜は開港しました。よく知られているように、修好通商条約では「神奈川」の開港が定められており、開港直前の2月段階でもアメリカ総領事ハリスは神奈川宿(現神奈川区)付近を開港場とすることを主張していました。日本側は横浜村に開港場を建設するものの、欧米諸国が開港当初に外国公館(領事館)を置いたのは神奈川でした。今回のミニ展示では、開港前後の「神奈川」のようすをあらわした資料を展示します。

「五ヶ国御貿易場」安政6年(1859)当館蔵
開港前後の開港場の情報を記した摺物。縦に細かく折れ線が入っていることから、実際に扇に貼られて使用されたものと思われる。資料下部の地図には手前(下)に神奈川宿が、中央には横浜の日本人町が描かれる。神奈川宿が大きく描かれるのは、外国人居留地が神奈川に置かれる可能性も考慮したのであろう。右は拡大図。
「五ヶ国御貿易場」安政6年(1859)当館蔵
「五ヶ国御貿易場」拡大図
「五ヶ国御貿易場」拡大図

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