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2011年度「特別資料コーナー」
下岡蓮杖の遺品
日本の営業写真の礎を築いた下岡蓮杖(しもおかれんじょう)は、晩年には竜や達磨の絵を描き、香合や茶碗などの陶芸品を残しました。もともと狩野派の絵師でもあったことから、その才能は遺憾なく発揮されました。これらの記念品は、蓮杖を慕う門人や友人たちに贈られました。ここではそうした蓮杖の遺品を紹介します。
主な展示資料
- 晩年の下岡蓮杖
蓮杖87歳の肖像写真 撮影者は小川一真(中島良行氏寄付により購入・当館蔵) - 翁の面
蓮杖が77歳の時に娘婿6世尾形乾山のかまどで焼いた香合(前田正隆氏寄贈・当館蔵) - 奔馬の扇面
蓮杖の米寿の祝いの宴で配られた扇子(前田正隆氏寄贈・当館蔵) - 下岡蓮杖の杖をあしらった盆
蓮杖の葬儀に参列した人々へ配られた記念品(笠原製菓写真館所蔵)
幕末・明治のお正月
平成24年1月4日(水)〜1月29日(日)
正月は、豊穣(ほうじょう)を司る年神様(としがみさま)を家々にむかえて祀る時節です。その起源は詳しくわかりませんが、門松やしめ飾り、鏡餅などを飾る正月行事が浸透したのは、江戸時代といわれています。幕末・明治の頃の横浜でも、人々は門松を飾り、初荷や初出(はつで)で新年を祝いました。今回は、資料に残された幕末・明治期横浜の正月風景を紹介します。
太平洋を渡った幕末の船大工 鈴木長吉
【場所】常設展示室1の一部で12月20日(火)まで
常設展示室2「特別資料コーナー」で12月27日(火)まで
現在の静岡県河津町出身の船大工鈴木長吉(1818-1872)は、浦賀奉行所によって浦賀の造船所に登用され、1855年からは長崎海軍伝習所の1期生として勝海舟らとともに造船技術を学びました。その後、1860年には日米修好通商条約の批准のため、アメリカに派遣された「咸臨丸」に乗船し、勝海舟・福沢諭吉・ジョン万次郎らとともに太平洋を渡っています。本年6月、鈴木長吉の直系子孫である三沢晨子氏より、長吉関係の遺品72点が当館に寄託されました。今回その貴重な資料の一部を展示で紹介します。
横浜、秋の運動会−学校と職場の運動会−
展示期間:2011年10月1日(土)〜11月30日(水)
展示場所:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
横浜で最初に行われた学校運動会は、横浜小学校の前身、横浜学校の春季運動会で、明治19(1886)年5月に内田町(現在、中区)で開催されました。同校では明治22年以降、11月3日の天長節(天皇誕生日)の式典後に運動会を行なうことが恒例となりました。また、明治時代の後半には、商家や工場で働く人々のためにも、職場単位で運動会が行なわれるようになりました。遠足を兼ねて会場に行き、運動競技のほかに余興を楽しむ、レクリエーションとしてのものが多かったようです。ここでは、小学校と工場で行われた運動会を紹介します。
主たる展示資料
- 明治43年の横浜小学校運動会 『学の友』16号 明治43(1910)年12月 横浜小学校 横浜市中央図書館所蔵 複写
- 大正14年の横浜小学校運動会(絵はがき) 大正14(1925)年10月 松島写真館 当館所蔵(斉藤武子氏寄贈)
- 横浜電線製造株式会社秋季運動会(絵はがき) 明治43(1910)年11月 藤井写真館 当館所蔵
綴られた関東大震災−1923年9月1日から88年を経て−
展示期間:2011年9月1日(木)〜9月30日(金)
展示場所:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
大正12(1923)年9月1日午前11時58分、神奈川県相模湾沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9の地震が発生しました。被害は、神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部の広範囲に及び、死者・行方不明者数10万5000人を数える日本災害史上最大級の地震被害となりました。関東大震災とよばれるこの地震被害については、多くの人々が当時の様子を書き残し、様々な記録が残されています。ここでは当館が所蔵する、関東大震災の記録をいくつか紹介します。
主たる展示資料(会期中に資料の入れ替えを行います)
- 『大正大震災大火災』大日本雄弁会・講談社編刊 大正12(1923)年10月 当館蔵
- 『大震記』信定龍太郎編著 大正12(1923)年10月 河本創作氏寄贈 当館蔵
- 『大震の日』第一高等学校国漢文科編 大正13(1924)年8月 当館蔵
- 『産婆看護婦関東震災殉難記』大日本看護婦協会著 昭和5(1930)年刊 当館蔵
- 『あの日 あの時−関東大震災の思い出−』清水清之著 神奈川県歴史教育者協議会横浜支部高校部会編刊 昭和49(1974)年 当館蔵(石井文庫)
横浜を彩る花火
展示期間:2011年7月30日(土)〜8月31日(水)
展示場所:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
夏の夜空を彩る花火は、江戸時代から人々を楽しませてきました。当時は、黒色火薬を使った橙色で薄暗い「和火」と呼ばれる花火でした。現在のように燃焼温度の高い塩素酸カリウムなどの化学薬品を用い、複数の色に彩られた花火は「西洋花火」と呼ばれ、明治時代になって始まりました。横浜では、明治10(1877)年11月3日の天長節に、平山甚太が打ち上げたのが最初です。平山の花火は人気を得て、海外にも輸出されました。ここでは、横浜の空を彩った花火の資料を紹介します。
主たる展示資料
- 『大日本横浜平山昼煙火全図』伊東洋氏所蔵
- 『大日本横浜平山夜煙火全図』当館所蔵(五味文庫)
- 平山花火の輸出用カタログIllustrated catalogue of daylight bomb shells. llustrated catalogue of night bomb shells. 当館所蔵(ブルーム・コレクション)
- 米国前大統領グラントを歓迎する花火「『東京各社撰抜新聞』米国前大統領グランド氏伝」国政画 明治12(1879)年 当館所蔵
- フランス波止場と花火(写真) 当館所蔵
- 花火業者の名刺当館所蔵
横浜関帝廟 150年目の夏
展示期間:2011年7月9日(土)〜29日(金)
展示場所:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
本年7月20日(水)から25日(月)にかけて、中華街の横浜関帝廟では鎮座150周年記念関帝誕(関羽の誕生祭)として、拝神儀式や記念パレードが盛大に行われます。
三国志の英雄関羽を祭った関帝廟は、世界各地の中国人の間で信仰を集めています。横浜の関帝廟は、開港から3年目、文久2年(1862年)に一人の中国人が関羽の木像をささやかな祠にまつったのが、その起源と言われています。
横浜開港資料館では、150周年を記念して、今回の記念行事の参考となった関帝廟に関する古写真や絵はがきのオリジナルや、ちょうど100年前に行われた関帝廟50年祭りを報じる新聞記事のパネルなど、8点あまりの資料を展示します。
なお、横浜関帝廟鎮座150周年記念行事の詳細については、横浜関帝廟のHPをご覧ください。http://www.yokohama-kanteibyo.com
横濱なつ景色・夏じたく
会期:平成23年6月1日(水)〜7月8日(金)
会場:横浜開港資料館新館2階・特別資料コーナー
汗ばむ季節になりました。“夏服の用意をしなくちゃ…”とか、“今年のお中元は何にしましょう…”などと頭をなやます時期です。今も昔も…。
明治〜大正期横浜の夏の光景は、彩色写真や絵はがきに多数撮されています。
今回の特別資料コーナーでは、そのような横浜の夏景色とともに、市民の夏支度に関連した資料を紹介します。
明治横浜アイスクリーム事情
会期:平成23年5月11日(水)〜5月31日(火)
会場:横浜開港資料館新館2階・特別資料コーナー
アイスクリームがおいしくなる季節です。1965年、日本アイスクリーム協会は5月9日を「アイスクリームの日」と定めました。
幕末、アメリカに派遣された幕府使節団の一員柳川当清が、万延元(1860)年閏3月26日、アイスクリームを口にし、「たちまち解けて誠に美味なり、これをアイスクリンと云」うと日記に記しました。これが歴史資料上にあらわれた、日本人とアイスクリームとの初めての出会いとされています。
それから150年。今回の特別資料コーナーは、みんな大好きな“夏の味覚”、アイスクリームの横浜での普及事情を、明治期を中心とする所蔵資料で紹介します。
スイス商人が見た幕末・明治の日本と横浜
会期:平成23年4月1日(金)〜5月10日(火)
会場:横浜開港資料館新館2階・特別資料コーナー
1863年、スイス政府の通商使節団の一員としてカスパー・ブレンワルドは来日しました。通商条約締結後の1865年、ブレンワルドはヘルマン・シーベルとともに、ロンドンでシイベル・ブレンワルド商会を設立し、翌年横浜に開業します。今回の特別資料コーナーは、スイス商人ブレンワルドが日本滞在中に残した日記などを題材にして、彼の生涯と幕末期の日本・横浜をふりかえります。
→神奈川新聞連載「港都の黎明−ブレンワルド日記から」(PDFファイル 14.8MB)