横浜開港資料館

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What's New「特別資料コーナー」

関東大震災93周年 洋画家が描いた関東大震災2016.9.1

会期:9月1日(木)〜9月30日(金)
会場:横浜開港資料館新館2階 特別資料コーナー

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、神奈川県東部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生、激しい震動が横浜市を襲いました。その後、市内289ヶ所から出火、市街地の大部分を焼き払うとともに、最終的な犠牲者の数は約26,000人にのぼりました。

そうした状況を描いた一人の洋画家がいました。元街小学校(現・中区)で教師をしていた八木彩霞(本名・熊次郎)です。元町の理髪店で被災した八木は、元街小学校に戻った後、青木町字上反町(現・神奈川区)の自宅をめざします。その後、家族と再会した八木は、被災地で苦しい生活をおくり、最終的には、郷里の愛媛県松山に避難していきました。今回は八木の震災体験を残されたスケッチなどから紹介します。

元街小学校の焼け跡と八木彩霞 1924(大正13)年2月
八木洋美家文書 「関東地方大震災大火災写真」所収 当館保管(寄託)

地震発生から5ヶ月後の山手(現・中区)の状況。がれきの上に座るのが八木彩霞である。八木は丘の下の山下町について、「関東地方大震災大火災写真」(アルバム)に「未だ震災当時と大差なく殆ど連日死屍を掘出され居れり」と書き記している。被災地のがれき撤去は停滞していた。

元街小学校の焼け跡と八木彩霞 1924(大正13)年2月 八木洋美家文書 「関東地方大震災大火災写真」所収 当館保管(寄託)

地震発生時の様子 1923(大正12)年9月
八木洋美家文書 「大正十二年九月 関東地方大震災画録」所収 当館保管(寄託)

八木彩霞の描いた「関東地方大震災画録」には、地震発生当日の行動が9枚のスケッチによって記録されている。正午前、八木が理髪店の奥座敷で昼食を食べようとしたところ、遠雷のような響きとともに、大きな揺れが発生した。驚いた八木は両手で鴨居と柱を支えている。壁の崩落や箪笥(たんす)の転倒など、揺れの大きさがうかがえる。

地震発生時の様子 1923(大正12)年9月 八木洋美家文書 「大正十二年九月 関東地方大震災画録」所収 当館保管(寄託)

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