横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

ペリー横浜来航170周年記念ミニ展示・パート4
ペリー艦隊の測量とモーリー大尉の日記

【会期】2024(令和6)年11月22日(金)〜2025(令和7)年2月20日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

2024年は、ペリー艦隊が横浜に来航し、幕府と日米和親条約を締結してから170周年にあたります。ペリー提督が長らく国を閉ざしていた日本を開国させたことは偉大な功績です。しかし、最大9隻の艦船で約2,000人からなるペリー艦隊の影の功労者と言えるのが、測量士官と呼ばれる人々でした。艦隊はアメリカから大西洋、インド洋を経て中国に至る長い航海を経て日本に到着しました。さらに、江戸湾(現・東京湾)は欧米諸国にとってまだあまり知られていない海域であり、船を安全に航行させるには測量士官の働きが必須でした。ペリー提督は『日本遠征記』で測量士官らの「正確で精力的な作業を評価する」と記しています。

測量士官のなかにウィリアム・L・モーリー(William L. Maury)大尉という人物がいます。彼は遠征中に日記を書き記していました。当館には彼自筆の日記3冊、肖像画(ロケット)やペリー提督からの書簡を所蔵しています。

今回のミニ展示ではモーリー大尉の日記や書簡からペリー艦隊の様子、彼ら測量士官が日米交渉に果たした役割について紹介します。

※会期中資料保存のため入替があります。

図 ハイネ原画「1853年7月11日に日本の江戸湾調査時にルビコン川を渡る「ミシシッピ号」のS.ベント大尉が日本船の間を分け入って進入」石版画(部分拡大)、『日本遠征画集』(1855年)、当館蔵

図 ハイネ原画「1853年7月11日に日本の江戸湾調査時にルビコン川を渡る「ミシシッピ号」のS.ベント大尉が日本船の間を分け入って進入」石版画(部分拡大)、『日本遠征画集』(1855年)、当館蔵

幕府は外国船が江戸湾に進入することは認めておらず、ペリー提督にとって観音崎―富津のラインを越えることは重大な決意を要しました。図はベント大尉が指揮する短艇(カッター)が旗山崎を越えようとして、右側の幕府の船が短艇の針路を妨げようとしている場面を描いたものです。左奥には短艇を護衛するミシシッピ号がいます。彼らの測量のおかげで艦隊は2度目の来航時に横浜まで船を進めることができ、幕府との交渉を有利に進めることができました。

※表題のルビコン川とは紀元前49年に古代ローマのユリウス・カエサルが「賽はなげられた」と叫び、ローマと属州との国境にあったルビコン川を渡り、ローマに反逆し、内戦に突入した故事になぞらえています。

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