横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2010年度「特別資料コーナー」

エリザ・シドモアと杉田の梅

会期:平成23年2月19日(土)〜3月31日(金)
会場:横浜開港資料館新館2階・特別資料コーナー

現在の横浜市域にあって、江戸期よりひろく知られていた名所の一つに杉田があります。妙法寺の梅は、初春には多くの人々でにぎわい、俳句・短歌や漢詩に詠まれて、紀行文学の題材となりました。

後年、米国ワシントンD.C.のポトマック河畔に日本の桜を移植することに提案して、日米の文化交流に尽力したことで知られる、アメリカ人紀行家エリザ・シドモア女史もまた、杉田に遊び、梅とかかわりのなかから、日本人への理解を深めていきました。

今回は、館蔵資料ののなかから、季節の花、杉田の梅についての紀行文やシドモア女史がみた、日本人と梅の関係について振り返ります。

杉田ノ梅林〔絵はがき〕
明治後期〜大正期 当館蔵
杉田ノ梅林〔絵はがき〕 明治後期〜大正期 当館蔵
エリザ・シドモア〔肖像〕
恩地薫氏提供
エリザ・シドモア〔肖像〕 恩地薫氏提供

フォトヨコハマ2011 参加企画 ミニ展示「横浜写真の誕生」

会期:2011年1月15日(土)〜2月18日(金)
場所:横浜開港資料館新館2F特別資料コーナー、および旧館記念ホール
展示点数:15点
 →くわしくみる(PDFファイル 356kb)

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昔の年賀状

会期:2010年11月23日(火)〜2011年1月14日(金)

人びとの間で「年賀状を交換する」ことが年中行事のように定着したのは、今から約120年前の明治20(1887)年頃と言われています。このコーナーでは、当館が収蔵する昔の年賀状を紹介し、当時の世相に触れてみたいと思います。

明治39(1906)年1月1日 当館保管「佐藤安弘家文書」
明治39(1906)年1月1日 当館保管「佐藤安弘家文書」

日本は日露戦争(明治37〜38年)に勝利し、ロシアから東清鉄道の南満州支線(後の南満州鉄道)の権利と、関東州の租借権を譲り受けました。この年賀状は、現在の中国・奉天省の新民市に出征していた兵士からのものです。「征露」とは、日露戦争の勝利を記念して民間で使用されていた私年号で、征露三年は明治39年に当たります。

明治43(1910)年1月1日 当館蔵
明治43(1910)年1月1日 当館蔵

実業家・浅野総一郎(1848〜1930)が明治29年に創立した東洋汽船は、明治31年にサンフランシスコ航路を開設しました。さらに明治41年には13,000トン級の大型客船・天洋丸と地洋丸を就航させるなど、太平洋航路の拡張に力を入れました。同社の隆昌ぶりが窺えます。

大正10(1921)年1月1日 今井正雄(横須賀市在住者) 当館蔵「小泉元久家文書」
大正10(1921)年1月1日 今井正雄(横須賀市在住者)
当館蔵「小泉元久家文書」
昭和26(1951)年1月1日 鎌倉証券株式会社 当館蔵「脇沢家文書」
昭和26(1951)年1月1日 鎌倉証券株式会社 当館蔵「脇沢家文書」

昭和12年から始まった日中戦争、その後の太平洋戦争中に年賀状は次第に減少し、昭和20年にはほとんど無くなってしまいます。敗戦後、人びとの生活が復興へと進むなか、昭和23年頃から年賀状も再び増え始めます。昭和24年からは、現在使用されている、お年玉くじ付の官製年賀葉書の使用が始まりました。

絵葉書に見る100年前の環太平洋の諸都市
−横浜開港で世界一周の輪がつながった…

展示期間:10月27日(水)〜11月21日(日)
展示会場:常設展示室2階特別資料コーナーおよび旧館記念ホール
展示趣旨:

幕末の横浜開港は、世界の移動距離を飛躍的に縮めました。開港後数年のうちに、ヨーロッパからアジア経由の東回りの定期航路が横浜まで達し、また太平洋を横断する西回りの定期航路も開かれました。これによって、世界一周の輪が、ここ横浜で完結したのです。横浜はヨーロッパ・中国方面からやってくる人びとが最後に立ち寄るアジアの港であるとともに、太平洋を渡ってくる人びとが最初に目にするアジアの顔でもありました。
APECが開催されるこの機会に、航路網によって結ばれていた横浜と環太平洋諸都市の100年前の姿を、当時の絵葉書に訪ねてみませんか。

主たる展示資料
サンフランシスコ市街 1910年頃
サンフランシスコ市街 1910年頃
マニラ トンドの運河 1913年頃
マニラ トンドの運河 1913年頃
広東沙面(さめん)外国人居留地の
フランス郵便局 1912年頃
広東沙面(さめん)外国人居留地のフランス郵便局 1912年頃

三宅磐関係資料

会期:2010年10月1日(金)〜24日(日)

三宅磐(いわお)は明治9(1876)年岡山県に生まれ、東京専門学校(早稲田大学)卒業後、大阪朝日新聞に入社しました。明治39年東京日日新聞社の経済部長となった後、明治43年横浜貿易新報社長に就任しました。三宅は都市問題に造詣が深く、『横浜貿易新報』は都市経営や都市問題に関する報道・評論を掲載し、横浜のオピニオン・リーダーとしての役割を果たしました。この新聞は、現在の『神奈川新聞』につながっています。ここでは、ご子孫からご寄贈いただいた三宅磐関係資料を中心に紹介します。

主たる展示資料
  1. 青年時代の三宅磐 「三宅磐旧蔵アルバム」 三宅和夫氏所蔵
  2. 三宅磐旧蔵スクラップブック 当館所蔵(三宅和夫氏寄贈)
  3. 三宅磐の訃報記事 昭和10(1935)年5月24日 当館所蔵(三宅和夫氏寄贈)
  4. 三宅磐葬儀の説教原稿 昭和10(1935)年5月25日 当館所蔵(三宅和夫氏寄贈)
  5. 「三宅磐先生追想録」原稿 昭和16(1941)年 当館所蔵(三宅和夫氏寄贈)
書斎の三宅磐 三宅和夫氏所蔵
書斎の三宅磐 三宅和夫氏所蔵

関東大震災

会期:2010年9月1日(水)〜30日(木)

今から87年前、1923年9月1日の関東大震災は、横浜の町並みを瞬く間に廃墟にしてしまいました。人口45万人のうち、死者は23000人を数え、被災者は約95%に及んだと言われています。家を奪われた罹災者たちは、絶え間ない余震、物資の窮乏、騒然とした世相の中で、数週間にわたる避難生活を余儀なくされました。こうした罹災時の生活を綴った体験記は、今日では大変貴重な歴史資料となっています。今回は、当館で収蔵する震災時の体験記などを展示します。

主たる展示資料
  1. 大震災画録 八木彩霞画 大正12年9月 八木洋美氏蔵・当館保管(寄託)
  2. 南吉田第二尋常小学校児童の震災作文 南吉田小学校所蔵・当館保管(寄託)
  3. 関東大震災 中嶋滋雄 佐藤美貴子氏寄贈・当館蔵
大震災画録 八木彩霞画 大正12年9月 八木洋美氏蔵・当館保管(寄託)
南吉田第二尋常小学校児童の震災作文 南吉田小学校所蔵・当館保管(寄託)
関東大震災 中嶋滋雄 佐藤美貴子氏寄贈・当館蔵

横浜の海水浴場

会期:2010年7月28日(水)〜8月31日(火)

横浜では幕末から、外国人を中心に、居留地先の沖に設置されたボートや、本牧十二天、富岡などで海水浴が行なわれてきました。しかし、日本人にはなじみが薄く、レジャーとしての海水浴が定着するのは、明治後期から大正期にかけてのことでした。今回は、新子安や磯子につくられた海水浴場の資料などを紹介します。

主たる展示資料
  • 新子安海水浴場の絵葉書
  • 横浜貿易新報主催磯子海水浴場の絵葉書
新子安海水浴〔絵はがき〕 横浜開港資料館所蔵
新子安海水浴〔絵はがき〕

ジョセフ・ヒコ『海外新聞』

会期:2010年4月24日(土)〜7月25日(日)

現在の兵庫県に生まれ、太平洋を漂流してアメリカに帰化してのち、開港後の日本に通訳として帰国したジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)。ヒコが発行した『海外新聞』を中心に、日本初の日刊新聞『横浜毎日新聞』出現以前の、誕生したばかりの新聞のすがたを紹介します。

  • ジョセフ・ヒコが発行した日本最初の邦字新聞『海外新聞』
  • 英国人ハンサードが発行した英字紙『ジャパン・ヘラルド』
  • 在米中のヒコと知り合った米国人ヴァンリードが、岸田吟香の協力を得て発行した『横浜新報もしほ草』

企画展「地域メディアの誕生」のプロローグとして、パネル展示も実施。

  • 『横浜毎日新聞』の誕生
  • 初期の英字新聞
『海外新聞』
『海外新聞』

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