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2014年度「特別資料コーナー」
横濱のお菓子屋さん — 明治のたのし味“百菓繚乱”
会期:2015年3月3日(火)〜3月29日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
お茶を飲みながら“ちょこっと”つまむお菓子の味は…格別ですね。明治時代、お菓子は現代と比べものにならないほどの貴重品でした。横浜に数多の銘菓あり。東京のお菓子屋さんも進出した横浜は、まさに“百菓繚乱”のまちでした。
描かれた名峰・富士山
会期:2月7日(土)〜3月1日(日)
会場:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
冬の時期、晴天に恵まれる横浜では、冠雪姿の富士山を市内各所から望むことができます。澄んだ空気も手伝って、富士山は円錐形の姿をはっきり浮かび上がらせています。おそらく100年以上前の人びともそうした富士山の姿に魅了されたことでしょう。富士山を被写体とした浮世絵やスケッチ、絵はがきなどからは、名峰に魅せられた人びとの様子がうかがえます。そうした富士山に対する人びとの姿に思いをはせながら、本コーナーでは、幕末から明治時代に描かれた富士山の姿を紹介します。
企画展「近代日本学のパイオニア」関連ミニ展示アーネスト・サトウの次男 武田久吉と山
会期:2014年12月6日(土)〜2015年1月12日(月・祝)
場所:横浜開港資料館2階・特別資料コーナー
サトウの次男、武田久吉(1883年〜1972年)は、サトウのすすめで1910年から16年までイギリスに留学し、帝国理工科大学、バーミンガム大学、王立キュー植物園で植物学を学びました。帰国後は北海道帝国大学などで植物学を教え、また父、サトウと同じように登山愛好家でもあり、2015年10月に創立110周年を迎える日本山岳会創立メンバーのひとりとしても知られています。戦後、1948年から51年にかけて同会の第6代会長もつとめました。 武田家寄贈資料の中から、ごく一部ですが関係資料10点を紹介します。
明治、大正の洋食レシピ本
会期:11月1日(土)〜30日(日)
場所:横浜開港資料館2階・特別資料コーナー
「管麺」、「加里饌」、「赤茄飯」って、何の料理でしょう?これは明治大正期に出版された洋食レシピ本に書かれているメニューです。食欲の秋真っ盛りの11月。今月の特別資料コーナーでは、当館が所蔵する洋食などの料理書を紹介します。フレンチにイタリアン、現代の私たちは日々様々な洋食を楽しんでいますが、明治・大正の時代、日本人はどのような本を通して洋食の作り方を学んできたのでしょうか。
ジョセフ・ヒコと『海外新聞』
会期:10月4日(土)〜26日(日)
場所:横浜開港資料館2階・特別資料コーナー
日本で最初の日本語新聞である『海外新聞』は、1864(元治元)年居留地141番で創刊されました。当初の名称は『新聞誌』、のち『海外新聞』と改題されました。
『海外新聞』を発行したジョセフ・ヒコ(1837〜1897)は、播磨国加古郡古宮村(現在、兵庫県播磨町)に生まれています。1850(嘉永3)年13歳の時に遠州灘で遭難、アメリカの商船に救助されて、サンフランシスコに渡りました。1852年にマカオに送られますが、帰国の目途がたたずふたたびアメリカへ戻り、後援者を得て教育を受けました。やがてカトリックの洗礼を受けてジョセフを名乗り、アメリカの市民権を得ています。そして、横浜が開港した1859 (安政6)年、アメリカ領事館の通訳として帰国をはたしました。
今年は『海外新聞』の創刊から150年を迎えます。今回の特別資料コーナーは、近年収集したものを中心に、ヒコ関係の資料を紹介します。
主な展示資料
- 「日本人の船乗りたち」(Illustrated News 1853年1月22日)
- 『海外新聞』1号-12号・18号-24号 慶応元 (1865)年〜慶応2(1866)年 西川道善氏寄贈
- 長崎時代のヒコ(写真)
- 『ジョセフ・ヒコの略歴及びその国政改革草案』(横浜史料調査委員会)石井文庫
関東大震災と東海道線
会期:8月30日(土)〜9月30日(火)
会場:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
1923(大正12)年9月1日、神奈川県西部を震源域とするM7.9の巨大地震が発生し、横浜市は大きな被害をうけました。また、横浜と東京、地方とを結ぶ鉄道も激しい震動によって寸断されます。特に日本の東西を結ぶ東海道線は、神奈川県内では震源域の真上にあったため、各所で被害を出しました。人やモノの流れが止まったことは、地方からの救援活動に大きな影響を与えます。本展示コーナーでは、河邊啓太郎氏から寄託をうけた「関東大震災鉄道復旧工事写真帳」から東海道線の被害と復旧を紹介します。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界文化遺産登録記念
おしえて!ヒストリー「群馬−生糸−ヨコハマ」
会期:2014年7月26日(土)〜 8月31日(日)
会場:横浜開港資料館旧館記念ホール 観覧無料
むかしむかし、生糸はヨコハマ第一の輸出品で、全国でつくられる生糸は横浜港を窓口に、ヨーロッパやアメリカにむけて海をわたっていきました。
いま、日本では世界文化遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」が話題となっています。富岡製糸場がある群馬県は、生糸や蚕種(カイコの卵)の生産量が多く、明治初期にはその多くが輸出に向けられていました。この展示では、幕末〜明治前期を中心に、生糸・蚕種が結んだ群馬と横浜とのかかわりをQ&Aで紹介します。
●生糸・蚕種・商人● |
横浜に里帰りした平山花火
会期:8月2日(土)〜29日(金)
場所:横浜開港資料館新館1階常設展示の一部・2階特別資料コーナー
花火の季節となりました。平山甚太(1840〜1900)は、自身が製造した「西洋花火」を、明治10(1877)年11月3日、日本で初めて横浜公園で打ち上げました。カラフルな平山花火は好評を得て、アメリカやヨーロッパに輸出されるようになります。花火には昼花火もあり、明治16年8月、平山は昼花火で日本人初の米国特許を取得しています。かつて、7月4日の米国独立記念日の夜にグランドホテル前の海から打ち上げられた横浜恒例の花火も、平山製造の花火でした。
今回の特別資料コーナーは、オランダから里帰りした平山花火の花火玉と昼花火の人形、及び今年寄託された平山煙火製造所関係資料を紹介いたします。
展示資料
- 花火玉 当館所蔵(勝山光郎氏・古木修治氏・清水茂氏寄贈)
- 人形(袋物)当館所蔵(勝山光郎氏・古木修治氏・清水茂氏寄贈)
- 平山甚太夫妻・岩田茂穂夫妻の写真(複写)神奈川県立神奈川近代文学館所蔵
- 米国貿易商会との花火販売店契約書 明治18(1885)年4月 小野哲男氏寄託
- 上海での米国独立祭の花火広告 明治39(1906)年7月 小野哲男氏寄託
- 平山煙火製造所沿革及ビ履歴概要 大正4(1915)年9月 小野哲男氏寄託
- 米国独立祭余興大花火目録 大正12(1923)年7月4日 小野哲男氏寄託
- 夜花火のカタログ 小野哲男氏寄託
ワールドカップ関連 特別パネル展示「横浜とサッカー」展
会期:平成26年6月8日(日)〜7月13日(日)
会場:横浜開港資料館 旧館 ホール
観覧料:無料
幕末から明治初頭にかけて、様々な西洋スポーツが日本に伝来しました。サッカーもその一つです。当初は、居留地に住む外国人が余暇に行うスポーツでしたが、外国人教師が赴任した東京高等師範学校(現在の筑波大学)などで学生がプレーしはじめると、各地の学校に赴任した卒業生を通じて、サッカーは全国に広まりました。今や各地のサッカーチームで多くの選手たちが育ち、日本代表チームは、5大会連続でFIFAワールドカップへの出場を果たすまでになりました。本展示では、西洋スポーツ伝来の地、横浜におけるサッカーの歴史を、写真と資料でたどります。
ペリー横浜上陸160周年 絵巻に描かれたペリー艦隊
会期:6月1日(日)〜6月29日(日)
ペリー艦隊を描いた絵巻は、各地に多数残されています。作者・作製年代が不明な絵巻もありますが、絵巻にはペリー艦隊来航時の様子、横浜応接所、艦隊の乗組員と彼らの衣服と持ち物、献上品などが描かれており、絵巻はペリー来航の様子を伝える貴重な歴史資料です。ここでは、当館が所蔵する絵巻のなかから、福田カヅ氏旧蔵の『米艦渡来紀念図』(垂れ幕複製)と、「黒船来航画巻」(会期中展示箇所を変えます)を紹介します。
特別資料コーナー「もう一つのシルク産業−富士瓦斯紡績保土ケ谷工場」
展示期間:2014年5月9日(土)〜5月30日(金)
展示場所:横浜開港資料館新館2階特別資料コーナー
生糸の原料となる繭からは、約800メートルから約1200メートルの糸がとれ、戦前の製糸業では、5粒ないし7粒の繭から1本の生糸をひきました。一方、短繊維である綿花から綿糸をつくる紡績業と同じように、繭の外層をつつむ毛羽や、糸を挽き出したあとにサナギとともに残る内層の細糸も短繊維にして紡ぎ、糸にしました。これを絹糸紡績といいます。日本では、明治10(1877)年、高崎に創設された官営新町紡績所にはじまりますが、明治43(1910)年に稼働を始めた富士瓦斯紡績保土ケ谷工場は全国最大の絹糸紡績となり、大正中〜後期には労働者6000人を擁する県下最大の工場でした。
ミニ写真パネル展示
戦後70年プレ展示
アメリカ女性下士官が撮した占領下の横浜
−メアリー・ルジェーリ・コレクション−
"Occupation-era Yokohama photographed by a member of the U.S. Women's Army Corps - The Collection of Technical Sergeant Mary A. Ruggieri"
会期:平成26年4月1日(火)〜5月6日(火・祝日)
会場:横浜開港資料館 旧館記念ホール、 観覧無料
協力:横浜市史資料室
来年2015年は戦後70年という節目の年にあたります。そのプレ展示を開催し、占領期の横浜をとらえた写真コレクション「メアリー・ルジェーリ・コレクション」を初公開します。
撮影者のメアリー・ルジェーリさん(Mary A. Ruggieri 1921−2013)は1946年10月、米陸軍婦人部隊(WAC)所属の軍曹として来日し、1948年4月まで横浜市中区のカマボコ兵舎に暮らしました。来日当初は25歳でした。ルジェーリさんは、愛用のカメラを携えて横浜をはじめとする日本各地で初めて目にした人びとの生活や風景を撮影しました。その数は4000コマ以上にものぼります。今回は、その膨大な写真の中から約70点を紹介します。
アメリカ人女性の目に映った戦後間もない横浜の街や人びとの生活、カマボコ兵舎内の米軍兵士の生活など、どれも貴重な写真資料です。
なお、会期途中で写真の一部を入れ替えます。また、それ以外の多数のコレクション写真は、会期中に複製を作成し当館閲覧室で公開します。
メアリー・ルジェーリさんとそのコレクション(複製)
ルジェーリさんは1921年、サンフランシスコに生まれ、カリフォルニア大学バークレー校を卒業。1946年10月、米陸軍婦人部隊の軍曹(Technical Sergeant)として来日し、48年4月帰国。この間約1年半、中区のカマボコ兵舎に暮らした。帰国後、横浜で知り合ったルジェーリ氏と結婚し、ともにピッツバーグ大学大学院に進学した。アメリカ女性作家連盟会員で、フィクション・ノンフィクション本や絵本を執筆。
2007年、コレクションの写真や手紙をもとに回想録”From Japan with love 1946-1948”(『日本より愛を込めて1946〜1948年』)をご子息のリチャード・ルジェーリ氏経営の出版社から刊行した。大西比呂志氏(フェリス女学院大学)は2011年の滞米時にルジェーリさんご本人に会い、写真アルバムを調査された。大西氏の仲介で当館での複写と、学術研究と展示等での公開をご快諾いただいた。2012年、アメリカから写真アルバム9冊等を送ってもらい、開港資料館でデジタル撮影(約1000カット)後、返送した。なお、ルジェーリさんは2013年10月、92歳で亡くなった。
にぎわう野毛の露店街
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メアリー・ルジェーリさんと日本のポスト |
「メアリー・ルジェーリ・コレクション」より Photograph by Mary A. (Kiddie) Ruggieri. From the collection of Mary A. (Kiddie) Ruggieri. Copyright 1946-2012, all right reserved. |