横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2024年度

ペリー横浜来航170周年記念ミニ展示・パート3
黒船接近!絵図にみる幕末の海防体制

【会期】2024(令和6)年8月16日(金)〜11月21日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

19世紀、ロシアの南下政策や西洋諸国のアジア進出によって、日本近海には異国船(黒船)が頻繁に姿を現わすようになりました。幕府はあいつぐ異国船来航事件に対応するため、文政8年(1825)2月、異国船打払令(無二念打払令)を発し、沿岸に近づく異国船を見かけたならば、迷うことなく砲撃を加えるように命じます。

しかし、隣国の清がイギリスに敗北したアヘン戦争(1840~1842)に関する情報が伝わると、幕府は天保13年(1842)7月、打払令を改め、薪水給与令を発しました。この天保薪水給与令のもと、異国船発見時の対応は、まず来航目的を確認し、食料・薪・水などに乏しい様子であれば希望する品物を与えて退去させるという方式に変更されました。ただし、異国船が不法行為に及んだ場合は速やかに打ち払いを実行し、臨機応変に対応することが警衛担当の武士たちには求められました。

そうした中、江戸近海にさまざまな台場(砲台)や陣屋(兵営)が建設され、諸大名が配置されました。台場、陣屋、大名の配置などは絵図として表現され、世上に広まっていきました。

今回のミニ展示パート3では、横浜開港資料館が所蔵する絵図を通して、異国船に対峙するために構築された幕末の海防体制について紹介します。

図 「豆州相州武州上総下総房州海陸御固御場所附」 幕末 当館所蔵
三浦半島から房総半島一帯の海防体制を描いた絵図。海防の拠点である台場・陣屋の配置が□で示され、対岸までの距離が記されています。また、鶴見・生麦の「松平兵部大輔」(明石藩10万石)、本牧の「松平相模守」(鳥取藩32万5000石)、金沢の「米倉丹後守」(武州金沢藩1万30石)など、諸大名の配置を確認できます。
図 「豆州相州武州上総下総房州海陸御固御場所附」 幕末 当館所蔵

ペリー横浜来航170周年記念ミニ展示・パート2
ペリーから伝わったモノたち

【会期】2024(令和6)年5月17日(金)〜8月15日(木)
【会場】横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー

今年(2024年)は、幕府がペリーと日米和親条約を締結してから170周年にあたります。嘉永6年(1853)6月3日、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる艦隊(黒船)が日本を開国するために浦賀に来航し、久里浜にてアメリカ大統領からの国書を幕府に渡します。

翌安政元年(1854年)1月11日に再びペリー艦隊が来航します。2月10日、ペリー提督一行は条約交渉のために横浜に上陸し、3月3日に日米和親条約が締結されました。

条約交渉のためにペリーは日本側に贈る数々の品を用意して来ました。遠征後に刊行された『ペリー艦隊日本遠征記』にはアメリカから幕府に贈られた品々を渡す場面が描かれています。日本人たちはこれまで見たことのない当時の最先端技術や珍しい品々に大変驚かされました。そうした品々は『遠征記』に日本側への贈り物リストとして掲載されています。

ちなみに、当館にはペリーから伝わったという資料を収蔵しています。これらのモノたちは、日本人とペリーと交流があったこと、横浜とペリーとのつながりを伝えてくれています。今回のミニ展示パート2では、ペリーから贈られたモノたちを紹介します。

図 横浜にてアメリカから贈り物を渡す 『ペリー艦隊日本遠征記』(1856)当館蔵
2月15日に2回目の会談に先立ち、アメリカ側は大量の贈り物を陸揚げします。なかでも4分の1サイズの蒸気機関車の模型に日本人たちは好奇心を示しました。また、絵の奥には電線が張られ、約1マイル(1.4km)先から電信機で一瞬のうちに伝わる様子を見て驚いたとのことです。ペリーはこうした技術力の高さを見せつけることで交渉を有利に進めようとしました。
図 横浜にてアメリカから贈り物を渡す『ペリー艦隊日本遠征記』(1856)当館蔵

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