横浜開港資料館

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What's New「ミニ展示コーナー」

2006年度「特別資料コーナー」

同潤会斎藤分分譲住宅関係資料

期間:2007年1月31日(水)〜4月22日(日)

木造住宅分譲規程
図版:「木造住宅分譲規程」

財団法人同潤会は、関東大震災の罹災者に住宅を供給することを目的として、大正13(1924)年に設立された内務省の関連団体です。

代官山や表参道にあったアパートメント・ハウスで知られますが、昭和初年には中産階級向けに、郊外部の分譲住宅も販売していました。

ここに紹介する資料は、昭和3年に神奈川区斎藤分町に建設された、同潤会の分譲住宅のはしりとなった住宅に関するものです。神奈川区在住の田中美枝氏より寄贈をいただきました。

「横浜市斎藤分分譲住宅案内」からは、分譲の趣旨と年賦分譲の期間、住宅の構造、申込者の資格のほか、住宅の配置や間取りなどがわかります。また、相互の親睦や福利増進を図ることを目的に、居住者で組織された潤和会の記録簿が残されており、昭和戦前期における会の活動や、分譲住宅内の自治の実態について明らかにすることができます。

これらの資料は、近日中に閲覧室でも公開する予定です。

横浜で発行された外国語新聞

期間:2006年11月1日〜2007年1月28日

『ジャパン・デイリー・ヘラルド』1904年3月5日付
図版:『ジャパン・デイリー・ヘラルド』
1904年3月5日付

横浜では幕末から外国語新聞が発行されていましたが、今回紹介するのは代表的な新聞である『ジャパン・デイリー・ヘラルド』と『ジャパン・ガゼット』で、近年名古屋大学名誉教授升本匡彦氏よりご寄贈いただいたものです。

なかでも前者は、1904(明治37)年に、内閣書記官室記録課で書記官長柴田家門と、記録課長江木翼の間で回覧されたものです。赤字の線や印が記され、日露戦争当時、どのような記事に関心を持って読まれたのかがうかがえます。

当館地下にある資料閲覧室(えつらんしつ)では、これらの外国語新聞の複製(展示しているものを除く)が見られます。複写もできますので、ご利用ください。

石井光太郎文庫『其唐松』修復の記録

期間:2006年8月2日〜10月29日

藤沢の文人による貴重な俳書『其唐松(そのからまつ)』の修復作業をつうじて、後世に資料を残す取り組みの一端を紹介。

横浜開港資料館は、横浜の歴史に関する資料を収集・保管し、閲覧や展示・出版を通じて、資料を公開する施設です。現在約25万点の資料を収蔵しています。

収蔵する資料は、資料の劣化が進まないよう、保存に適した袋や容器に納められ、保存に適した環境の収蔵庫(室温22℃、湿度50%前後)に保管されます。

しかし、受け入れた資料の中には、劣悪な保管環境により、傷んだものもあります。傷みのひどい資料のなかで、将来にわたって多くの利用が見込まれる貴重な資料については、修復を行うことがあります。和装本の綴じ直しが必要なものなど簡単な修復は、職員が行いますが、裏打ちなど専門の機材と技術が必要な修復は、業者に修復を委託します。

今回、石井光太郎文庫の『其唐松』も、業者に委託し修復を行った資料の一つです。どのような修復が行われたのか、見違えるような姿になった『其唐松』の、修復前と修復後の違いをご覧下さい。

『其唐松』天『其唐松』天
米珠・引蝶序 安永5(1776)年(序)
引蝶は甲州の俳人。書名は、西行の「甲斐国巨摩の郡の苗敷のその唐松の下ぞすゞしき」の和歌に因んでおり、苗敷を訪れた諸家の句を集めたもの。武蔵・相模の俳人の句も入集している。山梨県立図書館で所蔵するほか、所蔵が確認されておらず、貴重である。本書は2冊本(天・地)であるが、石井光太郎文庫に「地」は所蔵されていない。

貴重な資料の修復も、横浜開港資料館の仕事です。

今回の修復は、(有)紙資料修復工房に委託して行いました。
修復に関する写真は、同社の提供です。

ベアトが写した幕末の町田

期間:2006年5月10日〜7月31日

資料写真企画展「外国人カメラマンが撮った幕末ニッポン」準備中に新たに発見された三橋國民氏(町田市在住)が所蔵されるベアト撮影の写真(原町田)を展示。

ペルリ時計

期間:2006年4月8日〜5月7日

写真ペリー来航当時、下田奉行組与力を勤めていた山本謙兵衛がペリーからプレゼントされたとされる時計を、現所蔵者である但馬惟義氏のご厚意により展示。

「特別資料コーナー」の新設

2006年の春より特別資料コーナーを第2常設展示室の一角に設けました。珍しい資料、貴重な資料を随時ご紹介して行きます。ご期待ください。

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