横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【か行】

草野新太郎関係文書 (寄贈)

【解説】草野は現岐阜県垂井町出身、本姓児玉氏、のち滋賀県小浜町草野家の養子となり、北海道に渡り釧路でマッチ軸木製造業を興し、のち東京日本橋に海産物商草野商店を開業した。資料は、外商との売買契約書写、鉱山開発や不動産関係の証書など。文書記録の他、草野及び家族の肖像写真、中江兆民絶筆(備考参照)がある。
【寄贈者】島方梅
【総数】23点
【年代】明治期〜昭和期
【閲覧】原資料
【検索】「草野新太郎関係文書目録」
【備考】「兆民辞世の書」 (『ひろば』47)

久保田政周関係資料

【解説】第八代横浜市長久保田政周(1871〜1925)の関係資料。久保田は、帝国大学独法科出身の内務官僚で、満鉄理事、東京府知事、内務次官等を経歴して横浜市長に就任した。資料は、後藤新平の書、写真など。
【原蔵者】久保田良ー
【総数】書2点、絵葉書アルバム1冊、写真17点
【年代】大正期
【閲覧】複製本(文書49)
【検索】「久保田政周関係資料目録」
【備考】「本市歴代市長等関係資料調査報告」(『紀要』8)、当館編・刊『波乱の半世紀』(1990年)、大西比呂志『横浜市政史の研究』(有隣堂、2004年)

栗原勘夫家文書

【解説】栗原家は、群馬県佐波郡境町の旧家で、1872(明治5)年に設立された島村勧業会社の役員を務めた家である。島村勧業会社は、現在の境町島村の村人たちが共同で設立した会社で、同村の特産品であった蚕種(蚕の卵)を海外に輸出することを目的としていた。この会社は、横浜で蚕種の売り込みを行っただけでなく、1879年には、会社の役員がイタリアに蚕種を直接持参し、養蚕農家などに売り込んでいる。なお、栗原家には、この時期の会社の経営関係の文書が多数残されている。島村勧業会社関係の資料については、田島弥平家文書と田島九如家文書の項も参照されたい。
【原蔵者】栗原勘夫
【総数】約300点
【年代】1873(明治6)年〜1888年
【閲覧】複製本(Ca6-10.4)
【検索】「栗原勘夫家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 1』) 

黒河内隆家文書

【解説】青木町(現神奈川区)で運送店を営んでいた黒河内巌氏の綴った震災当時の日誌・メモなど。黒河内巌は長男の栄とともに消火活動や人命救助にあたり、神奈川県知事から表彰を受けている。
【原蔵者】黒河内隆
【総数】3冊(複製本冊数)
【年代】1922(大正11)年〜1993(平成5)年
【閲覧】複製本(文書13)
【検索】「黒河内隆家文書目録」

黒部寿家文書(寄託)〔2012年変更〕

【解説】中村町(現南区)の米穀商酒井屋黒部与兵衛、熊吉親子を中心とする黒部家の文書記録。同家の土地・家屋取得に関する証文、精米器械場や旅人宿の建設、貸家賃貸契約関係など。
【寄託者】黒部善子
【総数】61点
【年代】1874(明治7)年〜1937(昭和12)年
【閲覧】原資料
【検索】「黒部寿家文書目録」

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