横浜開港資料館

HOME > 閲覧室でご覧になれる資料 > 諸家文書 > か行〈2〉

閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【か行】

加藤一男家文書 (寄贈)

【解説】山形県の荒砥製糸(塚原製糸場)と親交のあった加藤家が、塚原家から寄贈された史料。横浜の生糸商から塚原惣右衛門に宛てた書簡・電報などからなる。加藤家残余分は、複製公開。
【寄贈者】加藤一郎
【総数】50点
【年代】1873(明治6)年〜大正期
【閲覧】原資料・複製本(Ca5-07.3)
【検索】「加藤一男家文書目録」(『横浜市史料所在目録 12』)

加藤勝太郎家文書

【解説】橘樹郡篠原村(現港北区)の名主を務めた加藤家の文書。しかし村方文書は少なく、近世史料の大半は証文類で、主に大正期に大綱村の区長、昭和期に篠原町内会連合会長などを務めた加藤喜一郎に関する資料が多い。喜一郎宛の辞令・通知のほか、1942(昭和17)年から1944年までの町会活動記録などがあり、大正・昭和期の行政の末端の様子を垣間見ることができる。
【原蔵者】加藤勝太郎
【総数】530点
【年代】1795(寛政7)年〜1945(昭和20)年
【閲覧】複製本(文書85)
【検索】「加藤勝太郎家文書目録」(『紀要』21)

加藤憲一家文書

【解説】都筑郡吉田村(現港北区)の名主役を務めた加藤家の文書。隣接する若雷神社の縁起(寛永5年)がもっとも古いものであるが、安政2(1855)年の名主役請状があり、それ以前の村方文書が極端に少ないことから、江戸後期に村役人になった家とも思われる。地租改正期の土地台帳「野帳」や大絵図は、藤澤三郎『吉田沿革史』にその実施過程が記されているもの。また家業のそうめん製造関係文書、石橋銀行関係文書に特徴がある。また地形的に鶴見川・早淵川の合流地点にあり、水害・治水関係文書も豊富である。
【原蔵者】加藤憲一
【総数】379点
【年代】1628(寛永5)年〜1964(昭和39)年
【閲覧】複製本(文書24)
【検索】「加藤憲一家文書目録」(『紀要』18)
【備考】藤澤三郎『吉田沿革史』(1912年)、港北ニュータウン郷土誌編纂委員会編・刊『吉田沿革史』(1983年)

門倉保茂家文書

【解説】鎌倉郡名瀬村(現戸塚区)の名主や戸長を務めた門倉家の文書。江戸時代初期から幕末に至る名主家文書と明治10年代までの戸長役場文書が体系的に残っている。また、名瀬村を支配した旗本鈴木氏の知行地支配の実態を示す文書、明治20年代から大正期にかけての同家の経営に関する資料もある。さらに特殊な文書としては、天保期の当主治郎左衛門の長男で、蘭方医として活躍した門倉玄春が記した書簡がある。
【原蔵者】門倉保茂
【総数】約5,700点
【年代】1614(慶長19)年〜1951(昭和26)年
【閲覧】複製本(Ca5-13.1)
【検索】「門倉保茂家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 8』) 
【備考】森芳枝「蘭方医門倉玄春の手紙」(『郷土よこはま』96・97、1983年)

門倉家文書

【解説】戸塚区名瀬町の旧家門倉家の経営帳簿。幕末から大正末年まで、46冊の帳簿がある。裏表紙に門倉徳右衛門・同満太郎と記されている。
【総数】46点
【年代】1857(安政4)年〜1926(大正15)年
【閲覧】原資料
【検索】「門倉家文書目録」

このページのトップへ戻る▲