横浜開港資料館

HOME > 閲覧室でご覧になれる資料 > 諸家文書 > か行〈1〉

閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【か行】

廻船手形

【解説】三浦郡三崎城村(現三浦市)の船が、江戸との間で魚や麻などを運んだことを記した書類。享保6(1721)年以降、東京湾に出入りする船は、幕府が流通統制をするために、浦賀(現横須賀市)において浦賀奉行所の廻船改めを受けることになっていた。具体的には、積荷などを書面で奉行所に届け出ることになっており、この手形も、荷主が奉行所に提出したものである。
【総数】8点
【年代】1851(嘉永4)年
【閲覧】原資料
【検索】「廻船手形目録」

笠原孝雄家文書

【解説】笠原孝雄家は久良岐郡久保村湯島聖堂領(現港南区)の村役人を務め、「聖堂御領由来雑記」なる文書を残す(ただし現在は原本所在不明)。神奈川県史の編さんで、「笠原萬造家文書」として12点の文書が確認されていたが、その後新たに発見されて、現在では72点を数える。新出分としては、大正期から昭和前期にかけて、大久保地区の三業地振興関係・湘南土地住宅株式会社関係の文書が注目される。
【原蔵者】笠原孝雄
【総数】72点
【年代】1678(延宝6)年〜昭和期
【閲覧】複製本(文書22)
【検索】「笠原孝雄家文書目録」
【備考】港南の歴史発刊実行委員会編・刊『港南の歴史』(1979年)

梶木寛之家文書 (一部寄贈)

【解説】梶木家は橘樹郡市場村(旧鶴見区)の旧家であり、横浜市合併後は市会議員を輩出した。その文書は梶木家が所蔵し、当館が複製本で公開しているが、一部寄贈を受け、原資料で公開をしているものもある。文書は、近世は証文類・香典帳が主体。明治以降は、明治初期の北寺尾村との協議費関係帳簿、地租改正切図、明治・大正期の潮田町会議案、昭和期の鶴見区防護団関係に特徴がある。蔵書に福沢諭吉の著作も含まれる。
【原蔵者・寄贈者】梶木寛之
【総数】340点
【年代】1697(元禄10)年〜昭和期
【閲覧】複製本(Ca5-01.7)、一部原資料
【検索】「梶木寛之家文書目録」(『横浜市史料所在目録 12』) 

鹿島市太郎家文書 (寄託)

【解説】鹿島家は、江戸期に久良岐郡富岡村(現金沢区)の名主、明治初期に戸長を務め、同家文書には公務にかかわる文書が含まれている。また、明治20年代から大正期にかけての金沢村の予算関係資料や現在の金沢区域の明治期の漁業に関する文書が多数ある。さらに、明治初年の神奈川県布達を含んでいる。
【寄託者】鹿島市太郎
【総数】約1,700点
【年代】1760(宝暦10)年〜1918(大正7)年
【閲覧】原資料
【検索】「鹿島市太郎家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 2』)

勝野正彦家文書

【解説】岐阜県中津川の勝野吉兵衛家は、天保期に製糸業を始め、横浜開港後は越後屋三井得右衛門と、1876(明治9)年より野沢屋茂木商店と関係を深めた。文書は1885年から1902年まで茂木商店に務め、生糸売込課副長となった三男勝野又三郎の史料と、勝野家の製糸事業である信勝社関係の史料、中津川関係の史料とに分かれる。茂木商店と傘下製糸家との関係を知ることができる文書群である。
【原蔵者】勝野正彦
【総数】711点
【年代】1684(貞享元)年〜1944(昭和19)年
【閲覧】複製本(文書6)
【検索】「勝野正彦家文書目録」
【備考】平野正裕「茂木系製糸・信勝社の分析」(『紀要』15)

このページのトップへ戻る▲