横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【た行】

台湾貿易株式会社関係資料

【解説】台湾貿易株式会社横浜支社の資料。茶輸出、ガラス・紙輸入の文書・書簡・送り状などからなる。
【総数】79点
【年代】1894(明治27)年〜1901(明治34)年
【閲覧】原資料
【検索】「台湾貿易株式会社関係資料目録」

高島家文書(高島嘉右衛門関係文書)(寄託)〔2018.6.2公開〕

【解説】明治時代に高島学校・ガス灯・鉄道建設などに従事した横浜の豪商高島嘉右衛門の子孫の家に伝来した文書と和本。文書の中心は嘉右衛門の事業を引き継いだ高島長政に関するもので、高島家が北海道で経営していた高島農場に関するものが多い。和本は江戸時代後期から昭和期のもので、嘉右衛門が所蔵していたものも含まれる可能性がある。
【寄託者】高島正保
【総数】592点
【年代】文書は1874(明治7)年〜1986(昭和61)年、和本は1756(宝暦6)年〜1941(昭和16)年
【閲覧】原資料
【検索】「高島家文書(高島嘉右衛門関係文書)目録」

高橋誠家資料 (寄贈)

【解説】鎌倉郡瀬谷村(現瀬谷区)の高橋家の所蔵資料。江戸・明治期の証文類、1891(明治24)年の菓子製造・小売営業免許鑑札、1900年薄荷水御届など農間商業資料のほか、戦中から戦後期の生活、青年団活動の資料、塩販売価格表などがある。
【寄贈者】高橋誠
【総数】67点
【年代】嘉永期〜昭和期
【閲覧】複製本(文書87)
【検索】「高橋誠家資料目録」

田島九如家文書

【解説】田島家は、幕末から明治期に、横浜から大量に輸出された蚕種(蚕の卵)の生産者である。同家は、上野国佐波郡島村(現群馬県佐波郡境町)の旧家で、明治初年に、村人とともに蚕種輸出を目的にした島村勧業会社を設立した家である。また、蚕種輸出が減少した後には、国内向けの蚕種生産を展開し、蚕種の品質改良にも貢献した。所蔵資料は、こうした田島家の活動を伝えるものである。島村関係の資料については、栗原勘夫家文書、田島弥平家文書の項も参照されたい。
【原蔵者】田島九如
【総数】約400点
【年代】1846(弘化3)年〜1934(昭和9)年
【閲覧】複製本(Ca6-10.5)
【検索】「田島九如家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 1』)

田島弥平家文書

【解説】田島弥平家は、田島九如家と同様に、島村勧業会社の中心となって活動した家である。所蔵資料の中心は、幕末から昭和初年にかけての蚕種の生産と販売に関するもので、横浜での蚕種貿易の実態を具体的に記した資料も多い。文書は、『横浜関係史料所在目録1』に収録されたものだけで約3,500点に達し、当館では、これらの文書すべてをマイクロフィルムに撮影している。順次閲覧用の複製本を作成しつつあるが、現在この内、約1,200点の閲覧利用が可能となっている。
【原蔵者】田島健一
【総数】約 3,500点
【年代】1669(寛文9)年〜1962(昭和37)年
【閲覧】複製本(Ca6-10.1)
【検索】「田島弥平家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 1』)

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