横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【か行】

生糸取引関係資料

【解説】資料名は「生糸取引関係資料」であるが、生糸商況報告(原善三郎糸方他)のほかに、茶商況報告(桝本保五郎)、横浜市内火災救助会規約、商館ラベルなども含む。
【総数】15点
【年代】1885(明治18)年〜1942(昭和17)年
【閲覧】原資料
【検索】「生糸取引関係資料目録」

木村芥舟・木村浩吉資料 (寄託)

【解説】1860(万延元)年に咸臨丸の司令官として太平洋横断をなしとげた軍艦奉行木村喜毅(芥舟、1830〜1901)とその嗣子、海軍少将木村浩吉(1861〜1940)の資料。浩吉の子孫に伝えられているもので、芥舟の幕臣時代の出仕命令書、咸臨丸渡米時の写真・記念品、芥舟と家族のガラス板写真、芥舟の著作、浩吉の勲章・勲記や著作、福沢諭吉の芥舟・浩吉あて書簡(軸装)、芥舟や浩吉の写真アルバムなどがある。次項の「木村芥舟・木村駿吉資料」も参照されたい。
【寄託者】木村家
【総数】約1,000点
【年代】文化期〜昭和初期   
【閲覧】文書・刊本・印刷物は原資料。軸類は複製写真。なお、扁額・写真類・記念品等の閲覧には、特別閲覧の手続きが必要となる。
【検索】「木村芥舟・木村浩吉資料目録」(『木村芥舟とその資料』所収の目録を改訂)
【備考】当館編・刊『木村芥舟とその資料』(1988年)、「幕臣木村喜毅あて書簡 ―『旧雨手簡』から―」(『紀要』11)、当館編・刊『咸臨丸太平洋を渡る』(2000年)

木村芥舟・木村駿吉資料 (寄託)

【解説】1860(万延元)年に咸臨丸の司令官として太平洋横断をなしとげた軍艦奉行木村喜毅(芥舟、1830〜1901)とその三男駿吉(1866〜1938)の資料。駿吉の子孫に伝えられているもので、芥舟および関係者の遺墨、駿吉の自筆稿本など。駿吉は数学・物理学者で、海軍艦艇の無線電信設備の開発に貢献したことで知られる。前項の「木村芥舟・木村浩吉資料」も参照されたい。
【寄託者】木村直之
【総数】14点
【年代】1860(万延元)年〜1935(昭和10)年
【閲覧】文書は原資料、その他は複製写真。
【検索】「木村芥舟・木村駿吉資料目録」(『木村芥舟とその資料』所収の目録を改訂)
【備考】当館編・刊『木村芥舟とその資料』(1988年) 、当館編・刊『咸臨丸太平洋を渡る』(2000年)

木村利右衛門関係資料 (寄贈)

【解説】木村利右衛門は、上総国君津郡小堰村(千葉県君津市)の出身。江戸の仲屋源七店をへて、横浜に進出した洋糸洋織物引取商であり、のちに横浜共同電灯や横浜電線の社長を務めた。資料は、利右衛門の岳父東作、養嗣子理左衛門のものである。維新期の御用留には利右衛門の横浜進出をうかがうことができる記述がある。また千葉県の常置委員関係記録、小堰村に設立した木村製糸場の設計資料などからなる。
【寄贈者】木村東作
【総数】8点
【年代】1860(安政7)年〜1896(明治29)年
【閲覧】複製本(Ca6-12.1)
【検索】「木村利右衛門関係資料目録」
【備考】内海孝「幕末維新期における引取商の出自と背景」(『紀要』1)

日下部金兵衛関係資料 (寄贈)〔2020.12.2公開〕

【解説】日本の写真黎明期の写真家として知られる日下部金兵衛(1841〜1934)の関連資料である。金兵衛は天保12(1841)年甲府の商家に生まれ、開港直後の横浜で写真家F・ベアトの助手となった。遅くとも明治14(1881)年には弁天通で写真館を開業、「横浜写真」の第一人者として日本各地・横浜の写真を製作・販売した。資料は金兵衛自身と写真館(金幣商会工場)に関わる文書・写真・図面等で、大正期以降のものが多い。金兵衛の曾孫フリーダ・サンジオ氏から当館に寄贈された。
【寄贈者】フリーダ・サンジオ
【総数】99点
【年代】明治期〜昭和後期
【閲覧】原資料、ただし写真については複製プリント
【検索】「日下部金兵衛関係資料目録」
【備考】斎藤多喜夫『幕末明治横浜写真館物語』(吉川弘文館、2004年)、斎藤多喜夫「横浜写真小史再論」当館編『F.ベアト写真集2』(2006年)、中村啓信『日下部金兵衛 明治時代カラー写真の巨人』(国書刊行会、2006年)

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