横浜開港資料館

HOME > 閲覧室でご覧になれる資料 > 諸家文書 > か行〈4〉

閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【か行】

加山三郎スクラップ帳 (寄託)

【解説】加山はもと橘樹郡子安村(現神奈川区)の村長加山昇の子で、創作版画協会に所属した。資料は、来簡や名刺、手控え、引札、チラシ、各種印刷物、切符や入場券を貼り込んだスクラップブック、(1)1920(大正9)年9月〜24年10月、(2)1924年10月〜25年7月、(3)1925年8月〜26年1月、(4)1926年1月〜6月の4冊である。加山の従兄弟に開港史料収集家の加山道之助、また弟に画家加山四郎がいる。なお、寄託者からは、「開国動機記念碑建設会趣旨」(1926年、小野重行ほか9名)(館蔵諸文書302)の寄贈を受けている。
【寄託者】加山昇市
【総数】4冊
【年代】大正期〜昭和戦前期
【閲覧】原資料
【検索】「加山三郎スクラップ帳目録」

加山道之助資料 (寄贈)

【解説】関内の真砂町に質商を営む傍ら、俳句や郷土玩具・開港史料収集を趣味として、横浜史談会や尚趣会などを組織し、また『横浜市史稿』(1931〜1933年)の編纂主任として知られる加山道之助(1877〜 1944)の旧蔵資料。1935(昭和10)年復興記念横浜大博覧会や1937年埋立祝賀横浜開港記念祭、横浜史料調査委員会、神奈川県史蹟跡名勝天然紀念物調査委員会の関係資料、自筆原稿や新聞切り抜きなど。
【寄贈者】加山達夫
【総数】285点
【年代】昭和戦前期
【閲覧】原資料
【検索】「加山道之助資料目録」

苅谷定吉家文書

【解説】苅谷家は、『新編武蔵国風土記稿』の都筑郡久保村(現緑区)の項で紹介された「旧家百姓三郎兵衛」にあたる家で、戦国時代には徳川家康の家臣として活躍し、後に久保村に帰農したと伝えられる。所蔵文書には、江戸期の年貢関係史料や検地帳、明治期の地租改正や戸長役場関係史料がある。
【原蔵者】苅谷定吉
【総数】約300点
【年代】1648(慶安元)年〜1973(昭和48)年
【閲覧】複製本(Ca5-12.1)
【検索】「苅谷定吉家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 7』) 

軽部光正家文書

【解説】軽部家は、東海道保土ヶ谷宿の問屋を務めた旧家である。江戸時代中期以降の保土ヶ谷宿の様子を伝える記録が多い。特に、「人足」や馬の利用など、問屋の職務に関する文書を多く含んでいる。なお、同家文書の一部が、戦前に刊行された横浜市保土ヶ谷区郷土史刊行委員部編・刊『保土ヶ谷区郷土史』上・下(1938年)に収録されている。
【原蔵者】軽部光正
【総数】約220点
【年代】1758(宝暦8)年〜1878(明治11)年
【閲覧】複製本(Ca5-07.1)
【検索】「軽部光正家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 10』) 

艱難実録 (小林彰夫家文書) (寄託)

【解説】艱難実録は、十五代将軍徳川慶喜の側近を務めた備中(岡山県)松山藩主板倉勝静の江戸藩邸詰めの家臣辻七郎左衛門が明治初年になって戊辰戦争を回想したものである。その記述は、徳川慶喜とともに大坂城を脱出した板倉が江戸藩邸で辻と面会する時から始まり、1869(明治2)年に板倉が新政府に自訴した時で終わっている。回想録であるため、記憶違いの箇所もあるが、当事者でなければ分からないような記述も多い。
【寄託者】小林彰夫
【総数】4点
【年代】明治初年
【閲覧】複製本(文書1)
【検索】「小林彰夫家文書目録」(『紀要』18)
【備考】西川武臣「松山藩士の見た戊辰戦争」(『紀要』11)

このページのトップへ戻る▲