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O.ペリーたちはなにを食べたの?
ペリー艦隊は、生きたヒツジやニワトリを乗せて、長い船旅のあいたでも、肉食ができるようにしていました。また、船内にはパンやお酒を保存する部屋がありました。これらの食料は、日本にいたるあいだに立ち寄った港で補給したものと思われます。
横浜に上陸したペリーたちの様子を聞き書きした農民に、市場村(現鶴見区)の添田七郎右衛門がいます。添田の記録には、船員たちが横浜村の子どもたちに菓子のようなものを与えていたが、それは「パン」というものである、とあります。食べ物をつうじて、したしみを表すのは、昔も今も変わらないようです。
安政元年2月10日(1854年3月8日)、ペリーと幕府役人とのあいだで、条約についての初めての話し合いがもたれました。この日、幕府はペリーやその乗組員に対して豪華な日本料理でもてなしました
。その料理については記録が残っていますが、本膳だけでもアワビの笹づくり・糸赤貝・しらが大根・塩しいたけ・くり・きんかん、などが出されています。日本は肉食を基本的に禁じていましたので、その素材は海産物と農産物でした。ペリーたちが、「おいしい」と思ったかどうかは分かりません。
なお、幕府はペリー艦隊に対して、米とニワトリを贈っています。
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