ペリーの横浜上陸を、水兵の肩ごしにのぞきこむ横浜のひとびとです。
横浜村のひとびとはどのような生活をし、ペリー艦隊とどのようなふれあいをもったのでしょうか。
【漁業と農業でくらす】
ペリーがくる数年前の横浜村のすがたです。
100軒たらずの家がまばらにあり、イワシの漁場やノリの養殖場、漁師の家がえがかれています。
現在の開港資料館のある場所にあった水神社をえがいたものです。
荷物をてんびんぼうで左右にわけて運んでいる人、荷物に腰をおろして休んでいる人がいます。のどかな光景です。
農作物をうすでくだいている農民のすがたです。
横浜は、漁業と農業とで生活がなりたっていました。
【艦隊の乗組員と村びとのふれあい】
ペリー艦隊の乗組員は、きゅうくつな船の上での生活にあきあきしていました。
1月28日、初めてペリー艦隊のアダムスが横浜に上陸します。
その後、乗組員の多くも上陸するようになると、きまりをやぶって、横浜にくらすひとびとと接触する者があらわれました。
子どもにパンをあたえる者、ぞうりやお酒のとっくりを手に入れようとする者、お酒に酔って農家に入りこみ、刀をかまえるポーズをする者など。
2月16日にはピッチンガーが、東海道を歩いて川崎まで遠出をしてしまいました。
このような乗組員の行動を、横浜や周辺に住むひとびとは、おそれ半分、興味半分で受け止めたようです。