1854年3月8日(嘉永7年2月10日)、ペリーは幕府との第1回の条約交渉をおこなうために、約500名もの部下をしたがえて横浜村に上陸しました。
そして、この内の約30名が会談場所である応接所に入りました。
ペリーと一緒に、隊列の先頭を歩いているのは、会談に出席するほかの4人の代表たちと思われます。
かれらは、ペリー提督とアダムズ参謀長、ウィリアムズ、ポートマン、O・H・ペリーの5名です。日本人が描いた5名の肖像画がありますが、右からペリー、アダムズ、O・H・ペリー、ポートマン、ウィリアムズの順に描かれています。
ペリー提督は艦隊司令長官で日本遠征の最高責任者です。
アダムズはペリーを補佐する参謀長という役職の人です。
ウィリアムズは中国にながく住んでいたので中国語がよくできました。また片言ですが日本語も少ししゃべれたので通訳になりました。
ポートマンはオランダ語の通訳です。幕府との交渉はオランダ語でおこなわれました。
O・H・ペリーは秘書をつとめました。ペリー提督の息子です。ペリー家は代々、海軍の軍人をたくさん出しています。