横浜開港資料館

HOME > 閲覧室でご覧になれる資料 > 諸家文書 > さ行〈6〉

閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【さ行】

曽根盛鎮・隆関係資料

【解説】曽根盛鎮・ルイ夫妻、その息子・隆と喜和子夫妻の関係資料。曽根盛鎮は、愛媛県士族で、磐前県(後福島県)の警部を皮切りに、愛媛・高知・宮崎各県で警部・県属をつとめ、明治20年に神奈川県警部(警察本部警務課長)、翌年に県属(第二部衛生課長)を歴任、以後、大住淘緩郡長(後に中郡長 明治24.5.27〜33.12.26)、足柄下郡長(明治33.12.26〜35.4.5)、鎌倉郡長(明治35.4.5〜38.1.20)をつとめた。資料は盛鎮に係わる辞令が大半だが、彼が残した日記11冊はとくに資料的価値が高い。また息子の隆は東京帝国大学経済学部を卒業後、日本徴兵保険株式会社、長野高等女学校教諭などを経て、戦後は衆議院の地方行政委員会に長く勤務した。辞令および書簡などが含まれている
【総数】564点
【年代】明治5年〜昭和37年
【閲覧】原資料
【検索】「曽根盛鎮・隆関係資料目録」

曽野康子家資料 (寄贈)

【解説】曽野氏は、横浜の生糸商茂木商店主茂木惣兵衛の妻蝶子の実家に入った中村廣三郎を祖父にもつ。廣三郎は上州高崎藩士原田漢十郎の息子で、茂木商店支配人となった。資料は、写真を中心に、廣三郎の妻ひさが書き残した家計簿「経費留」があり、その他は入嫁した曽野家の資料や、昭和期の絵葉書、出版された写真集などがある。
【寄贈者】曽野康子
【総数】264点
【年代】明治期〜昭和期
【閲覧】写真は複製。その他は原資料。
【検索】「曽野康子家資料目録」

このページのトップへ戻る▲