横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【さ行】

関口日記 (寄贈)

関口日記の一部

関口日記の一部

【解説】関口詮氏旧蔵のもので、池谷健治氏によって横浜市に寄贈された。この日記は、1762(宝暦12)年から1901(明治34)年まで、全部で約90冊ある。日記の著者は、橘樹郡生麦村(現鶴見区)の旧家関口家の歴代の当主5人で、ほぼ毎日のように記述がある。このように長期にわたる農民の日記は全国的にみても珍しい。横浜市教育委員会が、この日記を翻刻しており、活字での利用が可能である。また、当館では、原資料を所蔵するが、閲覧利用は複製本による。
【寄贈者】池谷健治
【総数】約90点
【年代】1762(宝暦12)年〜1901(明治34)年
【閲覧】複製本(文書26)
【検索】「関口日記目録」
【備考】横浜市教育委員会編・刊『関口日記』1〜23巻、別巻1〜3(1971〜1985年)

関靖旧蔵関家資料(寄託)〔2016.2.3公開〕

【解説】昭和5(1930)年より同21(1946)年まで初代金沢文庫長を務めた関靖(1877〜1958)旧蔵の関家関係資料である。関は、教員を経て金沢文庫長に就任し、離職後は、昭和28(1953)年に刊行される『横浜歴史年表』の編纂委員や神奈川県の文化財調査に係わった。戦後尚趣会の会員にもなっている。昭和28年には、『金沢文庫の研究』で日本学士院賞を受賞した。関家資料には、関靖の母方の祖父が水戸の勤王志士、桜任蔵であったことから、水戸藩関係資料が含まれている。また父の直(なおし)は明治維新後、内閣記録局局員となった人物であり、関係資料として、日本文庫協会(日本図書館協会)の設立に関する資料(日記)が残されている。靖については、金沢文庫長時代の日記・書簡・辞令などがある。
【寄託者】関東雄(せき はるお)
【総数】526点
【年代】江戸期〜昭和期
【閲覧】原資料
【検索】「関靖旧蔵関家資料」
【備考】関東雄・堀田明照「関家文書画像集」1〜3・「関家文書翻刻集」1〜2、石崎康子「関靖旧蔵、関家資料公開へ」(『ひろば』124号)

選挙関係資料

【解説】明治期の県会、衆議院議員選挙関係の書簡・通知類。12点中4点が保土ヶ谷の軽部篤三郎あての書簡・通知である。
【総数】12点
【年代】1894(明治27)年〜1911年
【閲覧】原資料
【検索】「選挙関係資料目録」

仙田允治家文書

【解説】鎌倉郡瀬谷村(現瀬谷区)の旧家仙田家の文書記録。地租改正関係、小作受取帳や金銀出入帳、証文などのほか、書簡や葉書に仙田製糸会社や瀬谷銀行などの地方産業、金融関係資料が含まれている。
【原蔵者】仙田允治
【総数】4,283点
【年代】江戸期〜大正期
【閲覧】複製本(Ca5-14.1)
【検索】「仙田允治家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 5』)

添田茂樹家文書

【解説】近世期は橘樹郡市場村(幕領、現鶴見区)名主文書が主体である。幕末の当主添田知通は、川崎宿寄場組合大総代として農兵隊を組織し、維新後は多摩川から横浜にいたる木樋水道の管理にあたった。その後神奈川県地租改正作業の指導的役割を担い、県収税長を務めた。その子知義は、村長・郡会議員を務め、1902(明治35)年には衆議院議員に当選した。知義の四男坦は、横浜の増田商店に勤務した後、昭和期には郷土史研究に従事した。近世期と知通・知義時代の文書は神奈川県史編纂の過程で整理され、目録が作成された。その後坦氏が作成した資料集「市場町資料」や、文政期から1877年までの御用留、江戸期の諸文書が確認され、当館独自に整理したものが追加されている。
【原蔵者】添田有道
【総数】728点
【年代】1644(寛永21)年〜1932(昭和7)年
【閲覧】複製本(Ca5-01.3)
【検索】「添田茂樹家文書目録」(『横浜市史料所在目録 11』、『紀要』18)
【備考】石野瑛『亜墨理賀船渡来日記』(内外社、1932年)横浜市編・刊『横浜市史』通史編第2巻・第3巻下(1959年、1963年)、鈴木芳行「明治前半期の地方官社会とある収税官吏」(『郷土神奈川』29、1991年)、川崎市役所編・刊『川崎市史』通史編第3巻(1995年)

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