横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【あ行】

太田佐兵衛家文書

【解説】神奈川で呉服店茅木屋を営んだ太田佐兵衛の資料。屋敷や所有地所に関わる図面等土地関係の資料が豊富なほか、賃金・奉公人等に関する若干の資料を含む。また「大正拾弐年関東震災残焼」と墨書された包紙に、娘婿銀次郎のスイス商人リンドウとの蚕卵紙取引に関する一件書類を含んでいる。
【総数】140点
【年代】幕末〜昭和初期
【閲覧】原資料
【検索】「太田佐兵衛家旧蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 12』) 
【備考】当館編『よこはま人物伝』(神奈川新聞社、1995)

大塚十一氏旧蔵文書 (寄贈)

【解説】中区元町で家具商丸楠商会を経営していた大塚十一氏の収集品の一部。島崎梅五郎(岩見浜田藩主松平周防守康爵の家臣)とその子息とおぼしき相致(陸軍軍曹・神奈川県足柄上郡松田警察署警官)の日記、自由民権運動家で板垣退助の側近である栗原亮一の関係資料などのほか、久良岐郡滝頭村(現磯子区)・保土ヶ谷宿寄場の地方文書、主要な横浜商人を列記した「若尾_子葬式一件」などがある。
【寄贈者】大塚十三
【総数】85点
【年代】1617(元和3)年〜1943(昭和18)年
【閲覧】原資料
【検索】「大塚十一氏旧蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 12』)

小笠原家文書 (寄託)

【解説】江戸時代後期に長崎奉行所与力を務めた小笠原貢蔵とその養子で浦賀奉行所与力や神奈川奉行所調役を歴任した小笠原甫三郎の記録を中心にした文書記録類。蛮社の獄の関係文書、黒船来航時の記録、幕臣たちの書簡や日記など、幕末の外交・政治・海防などを知るための貴重な記録を多く含んでいる。なお、原蔵者の酒川玲子氏は、小笠原家の直系のご子孫である。
【寄託者】酒川玲子
【総数】約1,000点
【年代】1653(承応2)年〜1916(大正5)年
【閲覧】複製本(文書2)
【検索】「小笠原家文書目録稿」(『紀要』10) 「酒川玲子氏所蔵、小笠原家文書目録稿」
【備考】石崎康子「小笠原家文書にみる神奈川奉行所関係文書」(『紀要』12・13)、同「小笠原家文書にみる浦賀奉行所関係文書」(『紀要』14・15・17』)

小口恵子家文書

【解説】戦前から戦後にかけて、長野県の蚕糸業史研究に従事し、蚕都岡谷の中心をしめる平野村の『平野村誌』を執筆した小口珍彦が残した資料。「平野村誌 編纂部」の名が記された筆写史料で1冊ごとにタイトルが付けられている。
【原蔵者】小口恵子
【総数】37点
【年代】昭和期
【閲覧】複製本(Ca6-20.1)
【検索】「小口恵子家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 2』) 
【備考】長野県諏訪郡平野村編・刊『平野村誌』(1932年)

小野忠秋家文書 (一部寄託)

【解説】幕末から明治初年にかけて、横浜町の町名主や副市長を歴任した小野兵助と、その長男で生糸貿易商や横浜正金銀行取締役支配人として活躍した小野光景らの文書記録類。小野家は信濃国上伊那郡小野村(現長野県辰野町)の旧家であったが、兵助が横浜に移住したことから活動の拠点を横浜に移した。多数の横浜関係文書のほか、光景の義弟で横浜財界を代表する来栖壮兵衛と、その子で太平洋戦争勃発時に日米交渉をおこなった外交官来栖三郎の書簡なども含んでいる。
【原蔵者・寄託者】小野忠秋
【総数】約1,000点
【年代】1705(宝永2)年〜1957(昭和32)年
【閲覧】複製本(Ca6-20.7)、原資料(寄託資料)
【検索】「小野忠秋家所蔵文書目録」
【備考】当館編・刊『横浜町会所日記』(1991年)、当館編『横浜商人とその時代』(有隣堂,1994年)

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