横浜開港資料館

HOME > 閲覧室でご覧になれる資料 > 諸家文書 > あ行〈3〉

閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【あ行】

池谷健治家文書 (関口次郎右衛門家旧蔵文書)

【解説】橘樹郡生麦村(現鶴見区)の旧家関口次郎左衛門家の文書記録で、池谷健治氏が神奈川県に寄贈し、現在、神奈川県立公文書館が所蔵している。関口家は、江戸時代に生麦村名主を務め、江戸時代初頭からの名主家文書が体系的に残っている。当館が所蔵する関口詮家文書と関口日記を、あわせて活用することによって地域の歴史を具体的に再現することができる。
【原蔵者】神奈川県立公文書館
【総数】約1,600点
【年代】1625(寛永2)年〜1880(明治13)年
【閲覧】複製本(Ca5-01.6)
【検索】「池谷健治氏所蔵文書目録」(『神奈川県史資料所在目録 31横浜市鶴見区』) 

池谷光朗家文書

【解説】池谷家は橘樹郡綱島村・南綱島村(現港北区)の村役人を務め、維新後は戸長を務めた家である。明治初期には養豚を、同後期には桃の改良・栽培に尽力する篤農家でもあった。文書は寛政期〜明治初期の御用留・年貢勘定帳などの近世文書、戸長役場文書があり、池谷家が心血を注いだ桃改良関係・綱島果樹園芸組合関係文書が充実している。II行政資料の項も参照されたい。
【原蔵者】池谷光朗
【総数】2,054点
【年代】1678(延宝6)年〜1929(昭和4)年
【閲覧】複製本(Ca5-11.6)
【検索】「池谷光朗家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 11・12』) 
【備考】横浜市勧業課編・刊『横浜における桃の生産並販売状況』(1930年)、港北区郷土史編さん刊行委員会編・刊『港北区史』(1986年)、百瀬敏夫「桃産地形成と園芸組合」(横浜近代史研究会・当館編『横浜近郊の近代史』、日本経済評論社、2002年)

伊沢多喜男文書

【解説】伊沢多喜男(1869〜1949)は、長野県上伊那郡高遠町に生まれ、和歌山県・愛媛県等の各知事、警視総監、台湾総督などを経て東京市長となるが、程なく辞任、以後は貴族院を中心に活動した。横浜との関わりも深く、中村房次郎とともに、久保田政周・渡辺勝三郎・有吉忠一・青木周三・半井清ら大物内務官僚の市長就任に尽力した。文書は書簡約1,100通・書類約270通などから成る。書簡には民政党系政治家のほか、財界人、台湾関係者、長野県関係者からの来翰や、伊沢の発翰(草稿・写)、第三者間書簡などが存在する。また書類は台湾関係、貴族院議員・枢密院顧問官時代の意見書・談話・報告書・日記などがある。同資料は1996年に発足した伊沢多喜男文書研究会が整理し、2004年より国立国会図書館憲政資料室で公開されている。当館では旧蔵者の藤浪みや子氏のご厚意により、複製本で閲覧に供している。
【原蔵者】国立国会図書館憲政資料室
【総数】約1,370点
【年代】1875(明治8)年〜1990(平成2)年
【閲覧】複製本(文書10)
【検索】「伊沢多喜男家文書目録」
【備考】伊沢多喜男文書研究会編『伊沢多喜男関係文書』(芙蓉書房出版、2000年)、同会編『伊沢多喜男と近代日本』(芙蓉書房出版、2003年)

石井大助家文書 (寄託)

【解説】石井家は、江戸時代に久良岐郡磯子村(現磯子区)の村役人、明治初年に第二大区四小区の戸長を務めた旧家である。そのため、同家には、江戸時代から明治時代を中心に、当該地域の歴史を明らかにできる多種多様な史料が残された。
【寄託者】石井大助
【総数】137点
【年代】1655(明暦元)年〜1925(大正14)年
【閲覧】原資料
【検索】「石井大助家文書目録」

石井玉野氏寄贈モーガン関係資料〔2011.10.21公開〕

【解説】昭和戦前期に横浜で活躍したアメリカ人建築家モーガン(J.H.Morgan,1868-1937)関係資料。アメリカのフラー建築株式会社(G. A. Fuller Co.)の建築技師として来日し、東京の丸の内ビルディングなどの建設に携わったのち、1922(大正11)年に独立して建築事務所を構えた。1926(大正15)年からは横浜に事務所を移し、住宅や学校、教会、オフィスなど様々な建築を手がけた。資料は、名刺、パスポートなどのほか、1930年頃に撮影された根岸競馬場馬見所の竣工写真帖が含まれる。なお、本資料の他に、旧ラフィン邸(現・山手111番館)、ホテル・ニューグランド、アメリカ領事館などの設計原図約2000枚(大須賀常明・常良氏寄贈)が閲覧室で複製公開されている。
【寄贈者】石井玉野
【総数】19点(複製1冊)
【年代】1917(大正6)年〜1932(昭和7)年
【閲覧】複製(文書147)
【検索】「石井玉野氏寄贈モーガン関係資料目録」
【備考】「建築家J. H.モーガンの世界」(『開港150周年記念 横浜建築家列伝』横浜都市発展記念館 2009年)

このページのトップへ戻る▲