横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【あ行】

有賀初吉資料 (寄贈)

【解説】いわゆる「ハマ菱」、横浜市章の考案者として知られる明治期の横浜市吏員(当時文書課長)有賀初吉の資料。横浜市などの任免・賞与辞令、褒賞、委嘱状など。
【寄贈者】有賀完爾
【総数】85点
【年代】1897(明治30)年〜1931(昭和6)年
【閲覧】原資料
【検索】「有賀初吉資料目録」

有吉忠一関係資料 (寄託)

【解説】第十代横浜市長有吉忠一(1873〜1947)の関係資料。有吉は1896(明治29)入省後、内務官僚として千葉・宮崎・神奈川・兵庫の各県知事や、朝鮮総督府政務総監を務めた後、横浜市長に就任、震災後の復興事業に尽力した。このほか貴族院議員や、横浜商工会議所会頭も務めた。資料は、文書記録類、書簡、絵葉書、写真等。
【寄託者】有吉美知子
【総数】約1,200点
【年代】1877(明治10)年〜1950(昭和25)年
【閲覧】複製本(文書51)
【検索】「有吉忠一関係資料目録」(『紀要』22)
【備考】「本市歴代市長等関係資料調査報告」(『紀要』8)、当館編・刊『波乱の半世紀』(1990年)、当館編『よこはま人物伝』(神奈川新聞社、1995年)、大西比呂志『横浜市政史の研究』(有隣堂、2004年)

安藤常世家文書

【解説】橘樹郡白幡村(現神奈川区)の名主家の文書。所蔵文書には、江戸期のものが多く、文禄3(1594)年に作成された検地帳を所蔵している。
【原蔵者】安藤常世
【総数】約40点
【年代】1594(文禄3)年〜1874(明治7)年
【閲覧】複製本(Ca5-02.2)
【検索】「安藤常世家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 6』) 

H・アーレンス関係資料(寄贈)〔2017.11.30公開〕

【解説】ドイツ系総合商社アーレンス商会を創業したハインリッヒ・アーレンス(Hinrich Ahrens)とヘルマン・アドルフ・アーレンス(Herman A. Ahrens)およびヘルマンの息子森新太郎に関する資料。アーレンス商会は1869年に築地に設立され、横浜支店の開設は1873年。資料は、家族写真、ヘルマン使用の聖書や小物入れ、新太郎使用の独英辞典、軍隊手帖などのほか、明治期から昭和期にかけての横浜及び日本各地の風景などの絵葉書約100枚が含まれる。
【寄贈者】森多朗・森利子
【総数】142点
【年代】1860年代〜1980年代
【閲覧】原資料、ただし写真については複製プリント
【検索】H・アーレンス関係資料目録
【備考】「家族の肖像10:ドイツ系総合商社アーレンス商会の系譜」(『横濱』Vol.18、2007年10月)

飯田助知家文書

【解説】飯田家は元和年間に武州金沢から橘樹郡綱島(現港北区)に移住し、代々綱島村・北綱島村の名主を務めた。幕末期十代当主助太夫広配は、神奈川宿寄場組合・綱島寄場組合の大総代を務め、天然氷を横浜・横須賀などに供給し、横浜港内の屎尿処理を引き受けて、産業振興に力があった。十一代快三は農会の組織化に尽力し、鶴見川改修期成同盟会長を務めた。十二代助夫は大綱村長をへて、横浜市会議員、衆議院議員になっている。当該文書は近世村方文書とこの三代が残したものが主体である。これまで飯田助丸家文書として、神奈川県史編纂の過程で整理され、広く活用されてきたが、寛永21(1644)年の綱島村検地帳写や、近世の年貢勘定帳、幕末の金銭出納帳などを追加して当館で公開している。II行政資料の項も参照されたい。
【原蔵者】飯田助知氏(神奈川県立公文書館寄託)
【総数】3,107点(図書類は含まず)
【年代】1633(寛永10)年〜1927(昭和2)年
【閲覧】複製本(文書3)
【検索】「飯田助知家文書目録」
【備考】海山編『広配翁略歴』(1915年)、品川貞一『飯田家三代の俤』(1941年)、斎藤康彦「南関東農村における豪農経営の展開と挫折」(『神奈川県史研究』40、1979年)、港北区郷土史編さん刊行委員会編・刊『港北区史』(1986年)、横浜近代史研究会・当館編『横浜近郊の近代史』(日本経済評論社、2002年)、大西比呂志『横浜市政史の研究』(有隣堂、2004年)

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