横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【ま行】

村田純一(武)家文書(寄託)

【解説】都筑郡中鉄村(現青葉区)の旧家である村田家の文書記録類。北条氏康の感状2通のほか、慶長・元和・幕末の検地帳、寛永以後の年貢割付、天保期から明治11年までの御用留、江戸後期の人別帳などの地方文書が充実しており、文化14年の傘連判状は著名である。『横浜市史料所在目録 第7集 緑区』には約1,000点の資料が採録されているが、幕末期以降の近代資料約700点が加わった。このなかには、鉄村戸長や学区取締など、明治初期の都筑郡北部の地方行政・教育の要職をつとめた藤右衛門・信十郎に関わる資料、小泉又次郎とも親交のあった村田鷹輔の資料なども含まれている。
ほか、太白堂の俳人としても知られていた。また信十郎の息子・鷹輔(たかすけ)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍する政治家・小泉又次郎とも親交があった。
本誌第93号で紹介した小泉からの書簡も、今回の寄託資料に含まれている。。
【寄託者】村田純一
【総数】1,813点
【年代】1603(慶長8)年〜1939(昭和14)年
【閲覧】複製本(Ca5-12.2)及び原資料
【検索】村田純一(武)家文書目録」
【閲覧】『地域史料を読む 7 都筑郡中鉄村 村田武家文書』、松本洋幸「都筑研究会と村田鷹輔について」(『開港のひろば』93)

村田禎男家資料(寄託)〔2011.1.28公開〕

【解説】村田家は、明治末年に東京から移住し、芝山漆器の販売に携わった。移住当初は北仲通に店があったと伝えられる。資料の中心は昭和10年代から50年代のもので、芝山漆器が輸出品としてヨーロッパやアメリカに送られたことを伝えるものである。村田家が芝山漆器の製造・販売に従事していたのは今から20年前迄であり、その頃、先代当主が横浜市に漆器の屏風を寄贈している。
【原蔵者】村田禎男
【総数】87点
【年代】明治2(1869)年〜昭和52(1977)年
【閲覧】原資料
【検索】村田禎男文書目録

持丸和久家文書 (寄託)

【解説】持丸家は橘樹郡生見尾村東寺尾(現鶴見区)の旧家。初代持丸兵輔は20年近くも生見尾村長を務め、生見尾小学校の設立、生麦地先海面の漁業権確保、寺尾大根の普及に尽力するなどの功績を残した。資料は、主に初代兵輔の代のもので、東寺尾・鶴見・生麦の地図、「氷採取営業願」、子安沖の「埋立工事施工順序詳細」など、明治期の生見尾村の生業や地形などを伝えるものが含まれている。
【寄託者】持丸和久
【総数】81点
【年代】1836(天保7)年〜1968(昭和43)年
【閲覧】原資料
【検索】「持丸和久家文書目録」
【備考】松本洋幸「持丸兵輔とその資料」(『ひろば』81)

森兵五家文書 (寄贈)

豊臣秀吉朱印状

豊臣秀吉朱印状

【解説】久良岐郡宿村(現金沢区)の 名主を務めた森家の文書。森家は、『新編武蔵風土記稿』で紹介された旧家で、近世初期に「帰農」したと伝えられる。『風土記稿』には「中国以西の人」とあり、西国から横浜に移住した家と考えられる。所蔵資料には、豊臣秀吉が森兵吉に宛てた朱印状があり、戦国期からの旧家であることは間違いない。なお、所蔵資料の中心は、江戸時代の証文類である。
【寄贈者】森すみ
【総数】約1,300点
【年代】戦国期〜1899(明治32)年
【閲覧】複製本(Ca5-10.4)
【検索】「森兵五家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 2』)

守屋貞雄家文書

【解説】江戸時代に鎌倉郡瀬谷村(現瀬谷区)名主を、明治以降は戸長・区長を務めた守屋家の文書。明治期の経営帳簿も充実しており、明治大正期の瀬谷村役場、瀬谷村農会関係の史料もある。また神奈川県の政治関係者からの書簡などもある。
【原蔵者】守屋貞雄
【総数】3,293点
【年代】1647(正保4)年〜1942(昭和17)年
【閲覧】複製本(Ca5-14.2)
【検索】「守屋貞雄家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 5』)

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