横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【ま行】

三澤晨子家資料(寄託)〔2011.11.22公開〕

【解説】咸臨丸乗組員鈴木長吉関係資料。所蔵者の三澤晨子氏は鈴木長吉のご子孫にあたる。鈴木は現在の静岡県賀茂郡河津町に生まれ、長じて船大工となり、幕府に登用されて長崎海軍伝習所や横須賀製鉄所で働いた人物。万延元(1860)年には日米修好通商条約を批准するためアメリカに渡った遣米使節の随行艦になった咸臨丸の乗組員になった。資料の中には、長崎海軍伝習所で記された観光丸の船具の図面や鈴木が横須賀製鉄所に勤めた際の辞令がある。
【寄託者】三澤晨子
【総数】72点
【年代】1856(安政3)〜2010(平成20)
【閲覧】原資料
【検索】三澤晨子家所蔵資料目録

溝田豊家文書(寄託)〔2013.6.26公開〕

【解説】富士瓦斯紡績株式会社に勤めた溝田伍市氏が残した資料。同社は大正期に尖端的な労資協調施策を採用したことで知られるが、本文書には、保土ヶ谷工場・川崎工場の運動会写真(印刷)や職工規則をはじめとして、中国大陸の紡績事情を調査した書類等が含まれる。また、同社の社内新聞『富士のほまれ』は、小山町役場(静岡県駿東郡)の所蔵分1914(大正3)年6月号〜大正15(1926)年11月号(欠号あり)を撮影し、閲覧室でプリント公開している。
【寄託者】溝田豊
【総数】35点
【年代】1916(大正5)年〜1936(昭和11)年
【閲覧】原資料
【検索】溝田豊家文書目録

三丸興業株式会社寄託文書 (寄託)

【解説】輸出海産物商石炭屋渡辺商店や渡辺銀行を経営した渡辺福三郎の資料。渡辺は江戸商人の系譜をひき、慶応3(1867)年に独立。開業当初は石炭・生糸・海産物を商ったが、明治初期には石炭・生糸から手を引き、海産物商として業を充実させた。銀行・不動産業にも力をふるい、妻たまは、社会事業家としても知られる。文書は、幕末以来の石炭屋渡辺商店の帳簿類と、大正期に設立された渡辺同族会社の資料とに大別される。横浜の有力商人で、これほど大量に震災前の文書を有するのは稀。
【寄託者】三丸興業株式会社
【総数】1、019点
【年代】1863(文久3)年〜1945(昭和20)年
【閲覧】原資料
【検索】「三丸興業株式会社寄託文書目録」、「渡辺健二郎家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 6』)
【備考】横田渉『福寿翁』(渡辺利二郎、1950年)、高村直助「幕末・明治前期における売込商石炭屋の経営形態」(横浜市編・刊『横浜市史』補巻、1982年)、当館編『横浜商人とその時代』(有隣堂、1994年)

水上浩躬文書

【解説】帝国大学仏法科を卒業し、司法・大蔵・内務各省、長崎県、神戸・大阪税関長を経て、 1897(明治30)年第11代横浜税関長に就任した水上(1861〜1932)の資料。海外旅券、任免辞令、招待状、各種領収書、葬儀関係書類など。
【総数】 208点
【年代】1889(明治22)年〜1967(昭和42)年
【閲覧】原資料
【検索】「水上浩躬文書目録」

三宅磐関係資料

【解説】横浜市政顧問、横浜貿易新報社社長、市会議員、県会議員、衆議院議員(民政党)などを務めた三宅(1876〜1935)の資料。三宅は、東京専門学校卒、大阪朝日新聞、東京日日新聞経済部長から、1908(明治41)年島田三郎らの招聘で市政顧問に就任、以後死亡するまで横浜の市政や都市問題、新聞文化事業に関わった。資料は、1911年から1932(昭和7)年までのスクラップブック、三宅の葬儀関係資料、各界の追想録原稿(備考参照)など。
【原蔵者】三宅和夫
【総数】42点
【年代】1911(明治44)年〜1941(昭和16)年
【閲覧】複製本(文書52)
【検索】「三宅磐関係資料目録」
【備考】斉藤秀夫「市民の登場と三宅磐」、佐藤孝「稿本・三宅磐先生追想録」、「本市歴代市長等関係資料調査報告」(『紀要』8)、佐藤孝「三宅磐『回顧三十年−横浜人としての思い出−』」(『紀要』10)

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