横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【は行】

本間清雄関係資料〔2011.5.25公開〕

【解説】本間清雄(1843〜1923)は、小笠郡平田村(静岡県)での医師の家に生まれ、幼少時代に駿府・横浜で遊学、ヘボンのもとで外国語を学んだ。ジョセフ彦を助けて『新聞誌』(のち『海外新聞』)の発行に携わり、慶応3年パリ万博に向かう徳川昭武の一行に加わって渡欧、幕府留学生としてプロシアで語学・法律学などを学んだ。明治2年にオーストリア国献上の電信機を天覧に供し、説明役を務めるために一時帰国。翌明治3年再び渡欧、プロシア・オーストリアに在勤し、日本公使館書記官などをつとめた。資料中には、明治15年に憲法調査のためにプロシア・オーストリアに遊学した伊藤博文等の一行の受入準備や学者の選定などに奔走していた様子を示す書簡が残されている。
【原蔵者】本間正夫
【総数】10点(複製1冊)
【年代】1882(明治15)年〜1922(大正11)年
【閲覧】複製(文書144)
【検索】本間清雄関係資料目録
【備考】「本間清雄」(『開港のひろば』12)、松居宏枝「ローレンツ・フォン・シュタインをめぐる在欧外交官の動静」(『お茶の水史学』54、2011年3月)

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