横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【は行】

浜島家資料(寄贈)〔2010.10.12公開〕

【解説】長野から横浜に移った青木家に残された資料。青木家の子ども達が通った横浜市立尋常高等南吉田小学校・横浜市立尋常高等第二日枝小学校の卒業証、また青木家に嫁いだ浜野ゆきの町立元街学校卒業書証書などがある。寄贈者浜島良枝氏は、青木家から浜島家に嫁がれ、青木家の文書を所蔵されていた。
【寄贈者】浜島良枝
【総数】28点
【年代】明治4年〜大正期
【閲覧】原資料
【検索】浜島家文書目録

林國治資料 (寄贈)

【解説】横浜の民間考古研究家、林國治(1898〜 1994)の晩年の自筆原稿。旅行記、回顧記など。
【寄贈者】林國治
【総数】26点
【年代】1967(昭和42)年〜1981(昭和56)年
【閲覧】原資料
【検索】「林国治資料目録」

早矢仕有的関係資料

【解説】明治初期横浜で書籍・薬品輸入販売の丸屋商社(丸善の前身)を開業し、その後直輸出会社の貿易商会、丸家銀行等を興して日本の商権回復に尽し、また民権運動の嚆矢とされる横浜ガス局事件(1878年)の指導者としても知られる早矢仕(1837〜1901)の資料。資料は、早矢仕宛て書簡貼込帳「故人交友帳」、同釈文、早矢仕宛て福沢諭吉書簡、その他丸善社史編集室作成早矢仕年譜など。
【原蔵者】曽我有壬、丸善株式会社、丸屋稔
【総数】16冊(複製本冊数)
【年代】明治期
【閲覧】複製本(文書61)
【検索】「早矢仕有的関係資料目録」
【備考】佐藤孝「早矢仕有的の研究−『故人交友帳』の分析(一)(二)」(『紀要』17、22)、当館編『横浜商人とその時代』(有隣堂、1994年)

原田久太郎旧蔵文書

【解説】原田は、 1871(明治4)年市内姿見町に生まれ、横浜商業学校を卒業後、吉田町に質店を営んだ。一方、補陀落山荘また棲雲と称して古物骨董品の収集を趣味とし、尚趣会の同人であった。資料は大正末から昭和戦前期にかけての横浜市催行事等の関係資料で、震災直後の罹災証明書や震災調査、橋梁・官庁・学校等復興施設の落成式、観艦式、復興博覧会などである。
【総数】245点
【年代】1923(大正12)年〜1943(昭和18)年
【閲覧】複製本(Ca5-04.6)
【検索】「原田久太郎旧蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 12』)

原常吉家文書

【解説】全国屈指の大養蚕経営を行った長野県飯田の蚕種家、原六右衛門家の資料。六右衛門(中島屋)は、幕末に横浜へ蚕種を出荷するだけでなく、生糸を京都で買い付け、横浜へ回送するなど、積極的な商業活動を行った。また蚕糸業組合組長なども務め地域の産業振興に尽力した。その次代の六雄は大正期に飯田・下伊那で勃興する組合製糸に関与した。文書は原家の経営帳簿類に富み、また近世以来の村方文書もある。
【原蔵者】原常吉
【総数】1、859点
【年代】1647(正保4)年〜1960(昭和35)年
【閲覧】複製本(Ca6-20.4)
【検索】「原常吉家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 2』)
【備考】大日本蚕糸会信濃支会編・刊『信濃蚕糸業史』上編(1937年)、上郷史編集委員会編『上郷史』(上郷史刊行委員会、1978年)、上山和雄「養蚕主業村と大規模養蚕農家の動向」(塚本学先生退官記念論文集編集委員会編『近世・近代の信濃社会』、竜鳳書房、1995年)

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