横浜開港資料館

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「開港のひろば」第101号
2008(平成20)年7月30日発行

表紙画像

企画展
白船来航
−米国大西洋艦隊にわく100年前の横浜・東京

逓信省発行米国艦隊来航記念絵葉書 旗艦コネチカット
明治41(1908)年10月 レヴィーン・コレクション
逓信省発行米国艦隊来航記念絵葉書 旗艦コネチカット
『米国艦隊接待次第』英文表紙
明治41(1908)年10月 レヴィーン・コレクション
『米国艦隊接待次第』英文表紙

日米関係史の中で、横浜が舞台となった大きな出来事が三つあります。一つ目は幕末のペリー来航、三つ目は第二次世界大戦後のマッカーサーの進駐。今回とりあげるのは、その間に起こった二つ目の出来事、スペリー提督率いる白船来航です。

黒船から半世紀、1908年(明治41年)10月、米国大西洋艦隊の白船が、世界一周の途中で横浜に来航しました。16隻の軍艦は、白く塗られていたことから、「白船」Great White Fleetと呼ばれました。

当時、日露戦争に勝利した日本は、満州での利権や太平洋での影響力をめぐって、アメリカと対立していました。また西海岸での日本人移民の急増が排日の気運を高め、欧米のメディアを中心に両国関係の危機説が囁かれていたのです。

こうした世論を背景に、1907年12月、アメリカ大統領セオドア・ローズヴェルトは、大西洋艦隊を太平洋沿岸へと派遣します。この段階では世界周航の意図は伏せられていましたが、南米、西海岸、ハワイ、オセアニア、アジア、中東、地中海を巡る14カ月の演習航海が始まりました。

艦隊派遣の目的は多岐にわたります。対内的には海軍力の強化とパナマ運河早期開設の国内世論の喚起、軍略的には長期航海の実践演習と給炭方法の研究などが挙げられます。対外的には、世界、特に日本にアメリカの海軍力を誇示し、圧力をかけることが重要な目的でした。

しかし、1908年10月18日、横浜にやってきた白船艦隊を待っていたのは、歓迎の嵐でした。艦隊が滞在した25日までの8日間、政府や様々な団体が歓迎行事を繰り広げます。横浜と東京での歓迎ぶりは、世界周航の中で最も熱烈なものでした。

日本は、白船来航という軍事的圧力を、熱烈歓迎のエネルギーに変え、両国間の親善と安定保持をはかったのです。

この劇的な出来事から今年で百年。本展示では、白船来航にわいた横浜・東京の様子や、メディアの反応などについて、白船関係資料を集めたレヴィーン・コレクションを中心に、友好と対立が織りなす日米関係史の一頁を紹介します。

本展示開催に多大なご尽力をいただいた、スティーヴン・J・レヴィーン氏、道子・レヴィーン氏に深く謝意を表します。

(伊藤泉美)

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