横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第101号
2008(平成20)年7月30日発行

表紙画像

企画展
「白船来航」
米国大西洋艦隊を迎えた人・街・メディア

艦隊歓迎の新聞報道

横浜・東京の新聞は、米国大西洋艦隊が到着する10月18日前後には、こぞって特集記事を組んだ。艦隊とスペリー提督以下将校を紹介し、50年前のペリー提督来航からの日米間における友好関係を強調するものであった。

停泊地横浜の『横浜貿易新報』は、18日から1週間を「艦隊週間」とした。当初の来航予定日17日には、英文増刊を合わせた20頁の「米国艦隊歓迎紀念号」を発行した。英文の「アメリカン・フリート・ナンバー」は、艦隊乗組員全員に配布したという。18日には「艦隊デイ」、19日には「白船」の社論を掲載し、連日艦隊と歓迎の様子を伝えている。さらに、米艦隊観覧船を運航し、歓迎徽章の販売もおこなった。また、国旗・提灯・イルミネーションで飾られた横浜市内の「歓迎装飾意匠評判投票」をおこなっている。その結果は、一等野沢屋絹商店、二等鶴屋呉服店、三等サムライ商会だったという。

昨年、レヴィーン氏から寄贈を受けた『時事新報』(図3)も特集記事を組んでいる。「米国艦隊を迎ふ」の社説をかかげ、艦隊とスペリー提督以下乗組員を紹介している。こちらも4頁の英文付録を艦隊乗組員に配布し、特に将校には6枚組みの記念絵葉書も贈呈した。

英文の歓迎号は『読売新聞』・『報知新聞』でも発行し、乗組員に配布している。『報知新聞』は他に乗組員の東京訪問に際し、歓迎記念品として絵日傘を配ったという。

各社趣向をこらしたが、『東京毎日新聞』は、「欧文東京市地図」を発行し乗組員に贈呈した。交通線路・旅館・飲食店・名所旧跡・芝居興行物・著名の会社商店等の位置を示し、その他特に注意すべき点について簡易に説明を加えたものである。

『東京朝日新聞』は「米艦歓迎英語会話」を12回連載し、艦隊の到着に合わせて単行本にまとめて発行した。この本は数日で売り切れ、再版されている。また、艦隊の到着を出迎える歓迎船として、汽船新発田丸をセール・フレイザー商会より借受けている。

また、米国艦隊とともに、4人の米国人記者が来日した。彼らの東京訪問にあたり、新聞通信記者数十名が出迎え、東京見物・上野精養軒での午餐、紅葉館での晩餐会で歓待した。

図3 『時事新報』明治41年10月18日
スディーヴン・J・ レヴィーン氏寄贈当館蔵
『時事新報』明治41年10月18日

あくまで日本の誠意を信ぜん

各新聞は横浜・東京での連日の歓迎ぶりとともに、米国の新聞がどのように伝えたのかも紹介している。

各社は二四日の記事で、ポートランド来電として、『イヴニング・テレグラム』(19日)が、「日米間に多少の軋轢ありしも、今回の歓迎に対し、飽迄日本の誠意を信ぜんとする」と伝え、『オレゴン・ジャーナル』(21日)が、「今回の歓迎は艦隊巡航中に受けたる歓迎の最も熱誠且つ盛大なるものにして、日本の誠意に付ては最早一点の疑も容るべからず」とし、「日米開戦論の如き愚論は、今後全く其声を収むべし」と論じたと述べている。

また、30日の各紙の紙面によれば、『ニューヨーク・タイムズ』の24日の社説は、日本における米艦隊歓迎について、「既往及び現在に於ける日米両国交誼の基礎は、到底従来発生し又は将来発生することあるべき紛争のために撹乱せらるゝものに非ざるを吾人並に全世界に表明」したと伝えた。

翌11月、太平洋および中国での日米間の現状維持を再確認した、高平―ルート協定が結ばれる。

(上田由美)

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