横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料「書家文書」

【や行】

横溝和子家文書 (寄託)

【解説】横溝家は、江戸時代に橘樹郡獅子ヶ谷村(現鶴見区)の名主を務めた家で、江戸時代初頭からの名主家文書が体系的に揃っている。また、明治時代の同家の経営を記した文書も多い。さらに、衣服・農具などの有形民俗資料も多くあり、これら有形民俗資料については、横浜市教育委員会が目録を刊行している。一方、同家の家屋は、横浜市指定文化財に指定され、現在、獅子ヶ谷横溝屋敷(鶴見区獅子ヶ谷3丁目)として市民に広く公開されている。なお、所蔵資料の大部分は当館に寄託されているが、慶長17(1612)年の「年貢皆済目録」など掛け軸になっている文書が同家に残されている。また、利用にあたっては複製本を公開しているが、掛け軸になっている文書の中には未撮影の資料もある。
【寄託者】横溝和子
【総数】約800点
【年代】1612(慶長17)年〜1951(昭和26)年
【閲覧】複製本(Ca5-01.5)
【検索】「横溝和子家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 3』)
【備考】横浜市文化財総合調査会編『横溝家文化財総合調査報告書 第16輯 武州獅子ヶ谷村横溝家文書』(横浜市教育委員会、1988年)

横溝徳三郎家文書

【解説】都筑郡上川井村(現旭区)横溝家に伝来の文書。江戸期は、元禄の検地水帳のほか、村議定、質地証文など。明治以降は、横浜水道第二次拡張工事の土地物件証書などがある。
【原蔵者】横溝徳三郎
【総数】389点
【年代】1693(元禄6)年〜1936(昭和11)年
【閲覧】複製本(Ca5-08.3)
【検索】「横溝徳三郎家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 9』)

吉田宰治家文書

【解説】吉田家は、群馬県勢多郡新里村の旧家で、幕末・明治の横浜を代表する生糸売込商吉村屋の本家筋にあたる。所蔵資料は、吉村屋関係文書と本家吉田家に代々伝わった文書に大別され、吉村屋関係文書の多くは、吉村屋の人々が幕末から明治初年に横浜から郷里に送った書簡である。これらの書簡から、群馬県出身の売込商がどのように横浜で経営を拡大していったのかを具体的に知ることができる。また、本家に伝存した資料からは、本家の経営実態や村の様子を知ることができる。
【原蔵者】吉田宰治
【総数】約9,000点
【年代】1699(元禄12)年〜1960(昭和35)年
【閲覧】複製本(Ca6-10.3)
【検索】「吉田宰治家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 1・3』)
【備考】当館編・刊『吉村屋幸兵衛関係書簡』(1989年)、当館編『横浜商人とその時代』(有隣堂、1994年)

吉浜俊彦家文書

【解説】江戸期には都筑郡下谷本村(現青葉区)の名主役、明治以降は第七大区長、郡書記ついで第二代都筑郡長などを務めた吉浜家の文書記録。江戸後期からの御用留や人別帳、土地・租税・助郷などの名主文書や組合村関係、維新期の徴兵、小区会所、地租改正、学校関係書類がよくまとまっている。
【原蔵者】吉浜俊彦
【総数】997点
【年代】1717(享保2)年〜明治期
【閲覧】複製本(Ca5-12.3)
【検索】「吉浜俊彦家文書目録」(『横浜市史料所在目録 7』)

米倉商店関係資料 (寄贈)

【解説】1877(明治10)年創業、横浜の元町ついで山下町に店舗を構えた貿易業米倉商店の関係資料。特に、竹製行李やバスケットの輸出で知られ、創業者小池いつは「横浜貿易界の女傑」と紹介された(『太平洋』9-15)。資料は、証書や契約書、山下町の土地取得関係、写真、コード・ブック等文書・文献のほか、輸出品の竹行李・バスケット、そろばん、インクスタンド等がある。
【寄贈者】小池幸男
【総数】130点
【年代】明治期〜昭和期
【閲覧】原資料、但し器物の閲覧は不可
【検索】「米倉商店関係資料目録」

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