HOME > キッズページ > 文明開化をのぞいてみれば… > E.吉田橋・野毛周辺 > E5.蒸気車道
1870年(ねん)・明治(めいじ)3年(ねん)、野毛(のげ)の埋(う)め立(た)て地(ち)に鉄道(てつどう)の駅(えき)ができることになり、平沼(ひらぬま)の入(い)り海(うみ)を鉄道用地(てつどうようち)として埋(う)め立(た)てる必要(ひつよう)がうまれました。鉄道(てつどう)の建設(けんせつ)にあたった鉄道掛(てつどうかかり)は、埋(う)め立(た)てを高島嘉右衛門(たかしまかえもん)にまかせ、工事(こうじ)は1871年(ねん)・明治(めいじ)4年(ねん)に完成(かんせい)しました。埋(う)め立(た)てした土地(とち)には「高島町(たかしまちょう)」の名前(なまえ)がつけられています。「蒸気車道(じょうきしゃどう)」は鉄道(てつどう)だけでなく、馬車(ばしゃ)や人力車(じんりきしゃ)、人(ひと)の行(い)き来(き)もできる便利(べんり)な道(みち)として利用(りよう)されました。
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