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E2.水道会社
海に面した横浜では、深い井戸をほっても、飲み水にはなりませんでした。横浜の住民は、近くの村から飲み水を運んでくる水売り
にたよっていました。水問題の解決のため、明治政府は多摩川の水を、木のパイプを土の中に埋めて横浜にひきいれることを思いつきました。横浜の代表者としての高島嘉右衛門・石川徳右衛門らと、多摩川を農業用水として利用している地元代表の添田知通は、1871年・明治4年から工事をはじめて、2年後に完成させました。しかしまちなかに引きこんだ川の水はすぐに腐ってしまって、良好な飲み水とはなりませんでした。水問題の解決は、1887年・明治20年の山梨県道志川を源とする、近代水道の実現をまたなくてはなりませんでした。
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