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D.日本人街・旧弁天社付近
日本大通をさかいにして関内地区の西半分は、日本人のまち
でした。外国と貿易をはじめるため、幕府は江戸の商人を横浜につれてきましたが、生糸や茶などの貿易品を生産する地方の商人たちも横浜に出て、しだいにちからをつけていきました。さらに神奈川や保土ヶ谷などからも、食品や生活品などをあきなう店が進出して、横浜は商人中心のまちになりました。
日本人街の海に面したもっとも西側には、弁天社という神社がありました。1869年・明治2年に関外の羽衣町にうつり、そのあと地には外国の公使館・領事館がつくられています。
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日本人街・旧弁天社付近
―「横浜弌覧之真景」
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