HOME > キッズページ > 文明開化をのぞいてみれば… > D.日本人居住区・旧弁天社周辺 > D1.町会所
貿易商人(ぼうえきしょうにん)たちは、商売(しょうばい)の取(と)り引(ひ)き金額(きんがく)におうじてお金(かね)を出(だ)し合(あ)い、町会所(まちかいしょ)を運営(うんえい)していました。町会所(まちかいしょ)とは、土地(とち)の借(か)り入(い)れや、店(みせ)ではたらく人(ひと)のとどけ出(で)などを受(う)け付(つ)けたり、商売上(しょうばいじょう)のさまざまな問題解決(もんだいかいけつ)をうったえる窓口(まどぐち)のやくわりもありました。この絵図上(えずじょう)では、町会所(まちかいしょ)は運上所(うんじょうしょ)の南(みなみ)、現在(げんざい)の神奈川県庁本庁(かながわけんちょうほんちょう)かどの交番(こうばん)の位置(いち)にあたりますが、1874年(ねん)・明治(めいじ)7年(ねん)4月(がつ)、いまの横浜市開港記念会館(よこはましかいこうきねんかいかん)のある場所(ばしょ)に新(あたら)しく建(た)てられました。アメリカ人(じん)ブリジェンスが設計(せっけい)した町会所(まちかいしょ)の建物(たてもの)は、その後(ご)横浜貿易商組合会館(よこはまぼうえきしょうくみあいかいかん)・横浜会館(よこはまかいかん)と名前(なまえ)が変(か)わりますが、本町通(ほんちょうどお)りの時計台(とけいだい)として、浮世絵(うきよえ)・写真(しゃしん)・絵(え)はがきにとりあげられました。
▼クリックすると、拡大画像(かくだいがぞう)をご覧(らん)いただけます。
|キッズページトップ| |展示物案内 子ども/教師|現場たんけん・ペリーが横浜にやってきた|文明開化をのぞいてみれば…|
このページのトップへ戻る▲