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越後屋三井家(えちごやみついけ)は、外国商人(がいこくしょうにん)の貿易相手(ぼうえきあいて)として、幕府(ばくふ)が横浜(よこはま)につれてきた商人(しょうにん)の代表(だいひょう)です。三井(みつい)は、1876年(ねん)・明治(めいじ)9年(ねん)、三井物産会社(みついぶっさんがいしゃ)を設立(せつりつ)して、横浜(よこはま)の主要(しゅよう)な輸出品(ゆしゅつひん)である生糸(きいと)や茶(ちゃ)だけでなく、のちには米(こめ)や材木(ざいもく)、石油(せきゆ)などさまざまな商品(しょうひん)の輸出入(ゆしゅつにゅう)をあつかう総合商社(そうごうしょうしゃ)に成長(せいちょう)します。
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