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D4.電信
日本を開国させようと横浜に上陸したペリーは、幕府へのおみやげとして電信機をもってきました。離れた場所に信号をおくり、意志をつたえあうことができる電信機は、当時のサムライたちをびっくりさせています。
1869年・明治2年、ブラントンの親せきであるジョージ・ウォーホップがなかだち役となりイギリスから電信技術者ギルバートが来日しました。横浜裁判所内に電信機役所がおかれて、1870年1月に東京とのあいだで電報のやりとりが始まっています。飛脚より安くて早いので評判になりました。
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