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A.波止場・「象の鼻」周辺
1866年・慶応2年、横浜の中心部で大きな火事があり、多くの建物がもえてしまいました。これを慶応大火
といいます。外国や国内の各地からやってきたたくさんの人たちが住むようになった横浜では、火事の被害は深刻でした。慶応大火ののち、横浜は防災対策をふくめた計画的なまちづくりをはじめます。
1868年・明治元年、灯台建設のために日本政府に招かれて来日したイギリス人ブラントン
は、横浜のまちづくりでも大きな役割をはたしています。
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波止場・「象の鼻」周辺
「横浜弌覧之真景」/中心部
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