HOME > キッズページ > 文明開化をのぞいてみれば… > E.吉田橋・野毛周辺 > E1.吉田橋と関門
浅間下(あさました)(西区(にしく))で東海道(とうかいどう)からわかれて横浜(よこはま)にむかう道(みち)は「横浜道(よこはまどう)」とよばれ、野毛(のげ)をとおって吉田橋(よしだばし)にいたりました。吉田橋(よしだばし)には、開港(かいこう)いらい西洋(せいよう)との交流(こうりゅう)に反対(はんたい)する武士(ぶし)を取(と)りしまる関門(かんもん)がおかれましたが、1871年(ねん)・明治(めいじ)4年(ねん)に廃止(はいし)されています。ブラントンが設計(せっけい)して、1869年(ねん)・明治(めいじ)2年(ねん)にできた吉田橋(よしだばし)は、長崎(ながさき)の「くろがね橋(ばし)」につぐ国内(こくない)2番目(ばんめ)の鉄製(てつせい)の橋(はし)で、1911年(ねん)・明治(めいじ)44年(ねん)に鉄筋(てっきん)コンクリート製(せい)にかけかえられました。
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