震災による倒壊
威容を誇った横浜監獄は、しかし、短命であった。竣工から20年あまり後の1923年九月、関東大震災が起こったのである。
地震発生により、敷地内の建物合計81棟のうち、28棟が全壊、そのほかの建物も半壊し、周囲の赤煉瓦塀はすべて倒壊した。つづいて隣接する横浜市市電局滝頭寄宿舎より火がせまり、看守・受刑者の必死の消火もむなしく、建物は全焼し、看守2名、受刑者52名が圧死・焼死したのである。
9月1日午後6時、当時の椎名横浜刑務所長は受刑者を収容する場所や食料の確保が不可能なことから、法の定めに従い、受刑者1,134名中、生存者全員を解放した。多くは刑務所に残り、応急施設の建設などにあたり、また一部の受刑者は名古屋刑務所に移送された。9月末日までの帰還者は780名、残りの300名あまりは逃亡者とみなされた(神奈川県警察部編『大正震火災誌』)。
その後、震災復興の過程で、根岸付近は近年発展し、刑務所の場所としては適さないことから、移転計画がもちあがった。その結果、横浜刑務所は中区笹下町、現在の港南区港南に移転されたのである。
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