「旧家の蔵から−開港場周辺農村の幕末・明治−」から
今回の展示では、旧家に残された古記録を出品したが、こうした記録を読んでいると、19世紀後半からの世の中の変化の激しさに驚かされることがある。
旧家に残された地図
そもそも横浜市域の農村は、日本最大の都市である江戸に近かったため、文化的にも経済的にも江戸と密接に結びついていた。そのためであろうか、幕末になると江戸を通じて、政治や国際情勢に関する情報が市域の農村にも伝えられた。
たとえば、上の写真は鶴見区の旧家関口家に残された中国大陸の地図である。この地図は、幕末の関口家当主東作が『海外新話』という本から写し取ったもので、嘉永4年(1851)に作られたものであった。
地図のもとになった『海外新話』は、江戸の学者嶺田楓江が嘉永2年(1849)にアヘン戦争の実態を知らせるために刊行したもので、東作は『海外新話』の存在を知り、この地図を写し取ることになった。
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