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館報「開港のひろば」バックナンバー


管轄と名称の変遷

 監獄の管轄官庁および名称は時代により変遷する。かなり頻繁に変わる。まず1859年(安政6年)から明治維新までは神奈川奉行、1868年(明治元年)からは刑部省、明治4年からは内務省、明治5年からは神奈川県の管轄となる。神奈川県においても、羅卒課、警察本署と所属がうつる。1903年(明治36)からは監獄官制の発布により、司法省の直轄となった。

 その間の名称変更は、戸部牢屋、神奈川県監獄所、神奈川県横浜監獄署等となり、その後1881年(明治18)に神奈川県警察本署の所属になった時点で、横浜監獄本署となり、八王子・小田原などに支署がおかれた。しかし1886年(明治19)に本支署が廃止され、横浜監獄と改称。その後1890年には官制改革にともない神奈川県監獄署と改称され、1903年(明治36)に司法省の直轄となった時点で、再び横浜監獄となった(『横浜開港五十年史』下巻)。したがって、根岸に移転した時点での正式名称は「神奈川県監獄署」であるが、「横浜監獄」と通称されていた。その後1922年(大正11)に司法省の監獄局を行刑局と改称した際、個々の監獄を刑務所と称することになった。

 なお、監獄費および監獄建設修繕費については、従来国庫支弁であったが、明治14年度以降32年度までは、地方税規則の改正により地方税による支弁となっていた。明治33年度からは再び国庫支弁となり、これによって、神奈川県議会で毎年繰り広げられてきた、監獄費・監獄建設修繕費の郡部・市部の負担割合問題は終結したのである。


図2 根岸の監獄全景『横浜開港五十年誌』より

「開港のひろば」第78号
2002(平成14)年10月30日発行

企画展
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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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