横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第103号
2009(平成21)年1月28日発行

表紙画像

特別資料コーナー
新たに見つかった橘樹(たちばな)郡会の写真

かつて横浜市の周辺には、橘樹(たちばな)郡・都筑(つづき)郡・鎌倉郡・久良岐(くらき)郡という4つの郡がありました。郡とは府県と町村の中間にあたる行政単位です。大正期までは各郡に郡長・郡役所が置かれ、町村に対する指導・監督を行ったほか、郡内全体に関わる土木・教育・勧業等の広域行政を担っていました。また各町村から選出された議員で構成される郡会(郡の議会)もあり、郡長が提出する毎年の予算案等を審議していました。

現在の横浜市鶴見区、神奈川区・保土ヶ谷区・港北区の各一部、および川崎市のほぼ全域にあたる地域は橘樹(たちばな)郡と呼ばれ、大正時代には約20の町村に分かれていました。橘樹(たちばな)郡役所は、明治期には神奈川町に置かれていましたが、大正2(1913)年に川崎町へと移転しました。

このたび鶴見区在住の方より、新たに橘樹(たちばな)郡会の写真を寄託して頂きました。これまで橘樹(たちばな)郡会の写真と言えば、明治末期と大正4年頃の2枚が知られていましたが、今回の写真は全くの新出資料です。

橘樹(たちばな)郡会議員と橘樹(たちばな)郡長・郡役所員たち
大正7年12月15日 橘樹(たちばな)郡役所
秋山俊幸氏蔵 横浜開港資料館保管
橘樹(たちばな)郡会議員と橘樹(たちばな)郡長・郡役所員たち

写真の裏面には、撮影日(大正7年12月15日)と、被写体の人物名が書かれています。橘樹(たちばな)郡長の隈元清世(くまもときよよ)(前列右から4人目)のほか前列・中列に16名の郡会議員、後列に郡役所の職員・技師8名の名前が見えます。

当時の橘樹(たちばな)郡では、第一次大戦中の鉄鋼・造船ブームを背景に活況を呈する南部の都市部と、農村労働力の流出に悩む中部・北部の農村部との間で、地域間格差が拡がりつつありました。大正7年の橘樹(たちばな)郡会では、そうした地域間格差をめぐって激しい議論が交わされました。この写真は、恐らくそうした喧喧囂囂(けんけんごうごう)の議場から解放された一同の記念撮影だと思われます。

なお、この写真を含め、橘樹(たちばな)郡役所・郡会の関連資料数点を、3月3日より「新収資料コーナー」で展示する予定です。最後に貴重な資料をご寄託頂いた秋山俊幸様に深謝申し上げます。

(調査研究員 松本洋幸)

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