横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第103号
2009(平成21)年1月28日発行

表紙画像

企画展
神奈川宿 成仏寺のヘボンたち
−貴重な写真発見される!−

来日した宣教師

修好通商条約の締結後、欧米各国のキリスト教伝道団は多くの宣教師を日本に派遣したが、最初に横浜(神奈川)の地を踏んだのは、長老派の宣教医ヘボンとその夫人クララであった。1859(安政6)年10月にヘボン夫妻が来日し、同年11月には改革派のS・R・ブラウンが、宣教医シモンズとともに来日した。上海にとどまっていたS・R・ブラウン夫人エリザベスと3人の子どもたち、長女のジュリア、次男ハワード、次女ハリエットとシモンズ夫人は、同年12月末に来日する。翌1860(万延元)年4月にはバプテスト派のゴーブルが夫人エリザと長女ドリンダと共に来日した。ヘボンとS・R・ブラウン、ゴーブルの3家族10名は、神奈川の成仏寺に、シモンズ夫妻は同じく神奈川の宗興寺に居を構えた。

当時の様子を示す資料として「東街道金川駅略図」(資料1)がある。「成仏寺」に「亜 ヘイボン ブラォン」・「亜 ゴーブル 宇之助」、宗興寺には「亜 セメンズ」と記されている。

資料1「東街道金川駅略図(とうかいどうかながわえきりゃくず)」(部分)
[万延元(1860)年頃] 横浜開港資料館所蔵 五味文庫
「東街道金川駅略図(とうかいどうかながわえきりゃくず)」(部分)

成仏寺

資料2は、従来「成仏寺」であるといわれてきた写真である。『ファー・イースト』3巻26号(1873年5月17日号)に掲載されており、後年W・E・グリフィスがHepburn of Japan and his wife and helpmatesにも掲載している。『ファー・イースト』の写真解説には「神奈川の宣教師たちの最初の住居」と記され、グリフィスの著書には「アメリカ人宣教師の最初の住居、ヘボン博士が神奈川で4年間過ごした家」と記されている。

資料2 成仏寺といわれてきた写真(実は本覚寺)
『ファー・イースト』第3巻26号(1873年5月17日号) 横浜開港資料館所蔵
成仏寺といわれてきた写真(実は本覚寺)

一方ヘボンは、彼とS・R・ブラウン、ゴーブルが住んだ成仏寺について、宣教団本部に送った手紙に、「寺の建物は、本堂と庫裡からなっており、わたしは本堂を選びました。庫裡より小さいのですが、良く修理すればこじんまりして、わたしどもの住居の習慣と趣味に適するように内部を改造できるのです。屋根は瓦ぶきで地面から床まで4フィートで、柱でささえてあり通風がよく、42フィート平方の大きい構えで、天井までは12フィートの高さに紙の障子で、外側は雨戸がしまるようになっております」(『ヘボン書簡集』 高谷道男編訳 岩波書店 1979年)と記している。瓦葺きで、建物の一辺が42フィート(14.6メートル)、の建物であったことがわかる。

しかし資料2に写っている寺は、茅葺きの建物であり、ヘボンの記す瓦葺きの建物ではない。この写真は本当にヘボンの住んだ成仏寺なのであろうか。

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