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企画展
開港150周年プレリュード(3)
−川の町・横浜ーミナトを支えた水運
川の繁栄のようすがていねいに描写された「横浜真景一覧図絵」明治24年 尾崎冨五郎
当館蔵
横浜は、今から約150年前の安政6年(1859年)に開港し、日本有数の国際貿易港として発展をとげてきました。横浜の中心部、関内(かんない)・関外(かんがい)地域もまた、ミナトを支える内陸流通の拠点として大いに栄えました。
堀川の風景 彩色写真 当館蔵
関外地域は、江戸時代初期までは大きな入海でしたが、今から350年前の明暦2年(1656年)に吉田勘兵衛によって大規模な開発がはじまり、寛文(かんぶん)7年(1667年)に新田が完成し、開発者の吉田勘兵衛にちなんで吉田新田と名付けられました。
一方、関内地域は、入海と江戸湾(東京湾)を区切るように突き出た宗閑嶋(しゅうかんじま)という半島を中心に幕末に入って急速に埋め立てられ、開発がすすんだ地域です。
この開発の過程でうまれた大岡川や中村川、堀川、派大岡川、吉田川といった川や運河が、戦後まで関内・関外地域を縦横に走り、荷や人を運ぶ帆かけ舟や汽船、艀(はしけ)がひしめき合い、河岸(かし)にはさまざまな荷をあつかう商店や倉庫が建ち並んでいました。
しかし昭和30年代に入って高度成長期をむかえると、川のもつ流通機能は鉄道や道路に取って代わられていき、いくつもの川が埋め立てられて姿を消し、川が繁栄した時代の記憶もうすれつつあります。
今回の展示では、これまで取り上げられることの少なかったこのような関内・関外地域の川の発展と衰退の歴史を、写真や絵はがき、地図、錦絵、遺物、文書など多彩な資料をとおしてたどり、国際貿易港、横浜のもうひとつの姿を紹介します。
最後になりましたが、今回の展示を開催するにあたり、ご協力いただいた方がたや関係諸団体・機関にたいして心よりお礼を申し上げます。
(中武香奈美)
この企画展示は、 競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて実施します。