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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第95号
2007(平成19)年1月31日発行

表紙画像
企画展
開港150周年プレリュード(3)
−川の町・横浜ーミナトを支えた水運
企画展
消えた八つの川
展示余話
嘉永6年2月15日の添田知通
資料よもやま話1
開拓使官有物払下げに関する黒田清隆の文書
−稲生典太郎の文庫から−
資料よもやま話2
福島県旧梁川町とその周辺地域における『横浜貿易新報』の購読者
資料館だより

新収資料コーナー(3)
同潤会斎籐分分譲住宅関係資料

  財団法人同潤会は、関東大震災の罹災者に住宅を供給することを目的として、大正13 年(1924年)に設立された内務省の関連団体である。

  また、今日の鉄筋コンクリート造りの集合住宅のはしりである、代官山や表参道にあったアパートメント・ハウスで知られているが、昭和初年の同潤会の事業には、一戸建てを中心とする郊外部での木造分譲住宅の建設があった。

  同潤会の住宅建設事業は、大きく3つに分けられる。まず、第1は、設立から大正14年にかけて行なわれた、罹災者を一時的に収容するための木造による仮住宅の建設と、平行して行なわれた定住可能な木造長屋形式の住宅による団地建設である。後者は、仮住宅と区別するため、普通住宅と呼ばれた。2番目は、中層アパートメント・ハウスによる住宅団地の建設である。そして3番目が、震災復興期以降の1戸建の分譲住宅の建設であった。


木造住宅分譲規定
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木造住宅分譲規定

  『同潤会十年史』によれば、大正15年(昭和元年)度に、横浜地方に建設する計画であった木造普通住宅190戸の建設予定を変更し、その経費予算で、1戸建ての中流小住宅60戸を建設することにした。そして、その住宅を大震災罹災者に家賃相当額で期間を設定して月賦で分譲し、中産者以下の恒久的な住居を安定させることにした、と記されている。 昭和3年からはじまったこれらの月賦販売分譲住宅は、低利資金が用いられたことなどもあり、次第に同潤会事業の主流となっていった。

  ここで紹介する資料は、昭和3年3月に横浜市神奈川区斎藤分町に建設された、同潤会分譲住宅のはしりとなった住宅関係のものである。これらは田中美枝氏から寄贈を受けたもので、祖父にあたる高木槙二氏から受け継がれた資料である。

  「横浜市斎藤分分譲住宅案内」には、分譲の趣旨として、横浜における中産者の住宅問題解決の一助として改良された小住宅を建設し、道路、下水道そのほかの設備を完全にして、年賦分譲の方法により供給をするとし、住宅の構造は、木造瓦葺平屋建と2階建、分譲期間は満15年以内、申込者の資格として、関東大震災の罹災者であることを条件としている。この資料からは、ほかに住宅の配置や間取りなどが分かる。

  そして、「木造住宅分譲規程」、「住宅賃貸契約書」も含まれている。 さらに、重要だと思われるのは、斎藤分分譲住宅の居住者で組織された潤和会の記録簿である。この会は、会員の親睦、 福利増進を図ることを目的としてつくられた。
  記録簿は、昭和3年から昭和20年上半期まで揃っており、昭和戦前期における会の活動の記録や、同潤会分譲住宅内の自治の実態について明らかにすることができる。

  同潤会と住民との交渉事は、潤和会によっていたことも分かる。この時期最大の事件だったのは、昭和5年から6年にかけて行なった地代値下げ運動のようである。
  これらの資料は、常設展示室2の特別資料コーナーで紹介する予定である。

(上田由美)


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