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イギリス軍(ぐん)がいた場所(ばしょ)は、現在(げんざい)の、港(みなと)が見(み)える丘公園(おかこうえん)から岩崎博物館(いわさきはくぶつかん)・横浜山手聖公会一帯(よこはまやまてせいこうかいいったい)でした。幕末(ばくまつ)に横浜(よこはま)にいたイギリス軍(ぐん)は第(だい)20連隊(れんたい)第(だい)2大隊(だいたい)で、「20」=「トゥエンティ」の英語(えいご)から、このあたりは「トワンテ山(やま)」といわれました。山手(やまて)に軍隊(ぐんたい)がいたことから必要(ひつよう)とされた仕事(しごと)にクリーニング業(ぎょう)がありました。谷戸坂(やとざか)で店(みせ)をひらいた脇沢金次郎(わきさわきんじろう)は、軍隊(ぐんたい)のせんたく物(もの)を一手(いって)にひきうけたといわれています。
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