HOME > キッズページ > 文明開化をのぞいてみれば… > B.山下居留地 > B9.関帝廟

横浜にやってきた外国人のうち、もっとも数が多かったのが中国人でした。中国人は、信義にあつく経済への理解がふかかった、古代中国の武将・関羽をうやまい、商売がうまくいくようにと1862年ころに関羽をまつった祠をつくります。そして1871年・明治4年に立派な関帝廟をたてています。写真にある「同善堂」は、関帝廟をつくった中国人たちのあつまりの名前とおもわれます。現在も中華街の同じ場所に4代目の関帝廟
が建っています。
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