横浜開港資料館

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キッズページ 文明開化をのぞいてみれば…

B9.関帝廟かんていびょう(1)

横浜よこはまにやってきた外国人がいこくじんのうち、もっともかずおおかったのが中国人ちゅうごくじんでした。中国人ちゅうごくじんは、信義しんぎにあつく経済けいざいへの理解りかいがふかかった、古代中国こだいちゅうごく武将ぶしょう関羽かんうをうやまい、商売しょうばいがうまくいくようにと1862ねんころに関羽かんうをまつったほこらをつくります。そして1871ねん明治めいじねん立派りっぱ関帝廟かんていびょうをたてています。写真しゃしんにある「同善堂どうぜんどう」は、関帝廟かんていびょうをつくった中国人ちゅうごくじんたちのあつまりの名前なまえとおもわれます。現在げんざい中華街ちゅうかがいおな場所ばしょ4代目だいめ関帝廟かんていびょう(2)っています。

▼クリックすると、拡大画像かくだいがぞうをごらんいただけます。

(1)関帝廟かんていびょう同善堂どうぜんどう内部ないぶ

関帝廟・同善堂の内部

(2)現在げんざい関帝廟かんていびょう

現在の関帝廟
  • A.波止場・「象の鼻」周辺
  • B.山下居留地
  • C.山手居留地・根岸
  • D.日本人居住区・旧弁天社周辺
  • E.吉田橋・野毛周辺
  • 図版一覧

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